2008年 11月 22日
- ボツ原稿リサイクル[ 2008-11-22 12:34 ]
映画のパンフに2バージョン書いた時代背景解説のうち、使わなかった方をリサイクルしておきます。パンフの方は今日、校正しちゃいます。
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本作の主人公アラトリステが活躍したのは、17世紀前半のヨーロッパですが、当時のヨーロッパの状況はどのようなものだったのでしょうか? まず皆さんに憶えていただきたいのは、当時のヨーロッパ人のものの見方・考え方は、私たち現代の日本人とは全く異なるものであると同時に、現代のヨーロッパ人のそれとも相当に異なっているということです。
例えば現代の工業化社会においては、悪いことをしたら死後に地獄に堕ちるということを本気で信じている人は、あまり多くありません。しかし、当時のヨーロッパ人にとって、死後に天国に行けるかどうかは極めて切実な問題だったのです。また私たちは、ある個人が誰と結婚するとか、どんな職業に就くとか、どこに住むということについて、本人の自由意志を尊重すべきであると当たり前のように考えていますし、全ての人間の価値は本来同じである、つまり、人間というものは平等な存在でなければならないとも考えています。ですが、こうした考え方がヨーロッパに初めて登場したのは、フランス革命の時の「人権宣言」によってですから、アラトリステの死後、実に145年もの歳月が流れているということになります。ですから、私たちは本作を見る時に、登場人物たちが「自由・平等・友愛」という、現代社会において普遍的なものとされている価値観とは無縁の存在であることを頭に入れておかなければならないのです。端的に言えば、「アラトリステ」の世界とは、王族や貴族と平民であれば、王族や貴族の方が価値が高いということを、王族も貴族も平民も当たり前のこととして受け止めている世界であり、また、キリスト教会が推奨する生き方を実践しなければ、死後は地獄に堕ちて永遠の苦しみを味わうということを誰もが心の底から信じている世界なのです。
次に当時の政治状況を見ていきましょう。まず、最も大きな状況としてあるのは、16世紀に始まった宗教改革によるカトリックとプロテスタントの対立です。大まかに言えば、ヨーロッパの北の方(イングランド、オランダ、スウェーデンなど)がカトリックに対して叛旗を翻していたのですが、スペインはカトリック側の超大国としてオランダやイングランドと泥沼の抗争を繰り広げていました。ドイツは当時、神聖ローマ帝国という国で、皇帝はもちろんカトリックの熱烈な信者でしたが、国内はカトリックの貴族とプロテスタントの貴族に分かれて内戦状態となっていました。すなわち三十年戦争です。
しかし、ここが解りにくい点なのですが、当時のヨーロッパの国際政治は宗教だけを対立軸としていたわけではないのです。宗教戦争と裏表の関係にあったのは、王家と王家の間の領土拡張抗争です。本作に特に関係するのはドイツ、スペイン、ポルトガル、オランダ、イタリア半島の半分近くなど巨大な領地を持っていたハプスブルグ家、フランスのブルボン家、イングランドやスコットランドやアイルランドを持っていたスチュアート家です。これらの王家の領土獲得は、二つの方法で行われました。一つは婚姻です。よその王家や大公家との間に婚姻関係を幾重にも張り巡らしておくわけです。そうした婚姻関係の全てが領土拡張に役立つわけではありませんが、どこかの王様や大公様が死んだ時に、一族の中にタイミング良く相続権を手にしていた人間がいれば得られるものは大きく、ハプスブルグ家もこの方法でスペインを手に入れたのです。なお、当時のヨーロッパでは、各国の王家は結局のところ全て遠い親戚同士でしたから、国民の方は何処の出身の誰が新しい王様になろうと、あまり気にしなかったようです。本作の序盤では、このような「婚姻関係」による領土拡張を狙う人物が重要な役回りを演じます。
もう一つの領土拡張方法は、既におわかりのように戦争です。こちらはお金もかかるしリスクも大きい割に、あまり大きな成果が得られないのですが、それでもスペインは結果的に1659年にフランスに負けてルシヨン地方を取られたりしているのですから、手を引くわけにもいきません。そして、このような王室間の戦争を請け負っていたのが、有力な貴族に雇われた傭兵たちであり、アラトリステやイニゴもまた生涯の大部分を傭兵として生きたのです。
しかしながら、傭兵というのは当時でも最底辺の仕事でした。昔流行った言い方ですが、まさに「きつい、汚い、危険」の三拍子が揃った職場であり、しかも薄給の有期雇用で怪我や戦死の際の保障も無かったのです。何故このような職場がそれでも存続していたのかと言えば、当時のヨーロッパもまた格差社会であり、親の生業を継承出来ない子供は傭兵にでもなるか、乞食になるか以外にあまり選択肢が無かったからです。特にスペインという国は上と下の差が激しい国で、莫大な土地を持つ貴族たちが優雅に暮らしている一方、平民は厳しい暮らしを強いられていました。そんな歪な社会構造を持つスペインが、それでもなお超大国であり続けられたのは、ひとえにこれ、新大陸から運ばれてくる金銀や稀少財をスペイン王室が独占的に扱っていたからです。原作の4巻にあたるエピソードでは、アラトリステはこのスペイン王室の生命線を脅かそうとする勢力と王室との暗闘の最前線に身を投じることになります。
ですが、超大国スペインの覇権はこの時代、既に翳りを見せ始めていました。ハプスブルグ家は、そうやって新大陸から搾り取った莫大な富を自国内の産業育成に投資する代わりに、カトリックに刃向かう勢力との泥沼の戦争に使い続けて浪費していたのです。ここで百歩譲ってそうした戦争が仕方無かったものとしましょう。もしも自国内に有力な商人たちが存在しており、スペインが戦争に使うお金がそれらの商人たちに支払われていたならば、新大陸の富は商人による資本の蓄積という形でスペイン国内に留まり、次の時代の産業を育てる原資になっていたでしょう。しかし、スペイン王家はグラナダに最後に残ったイスラム王朝を滅ぼしたその年に、ユダヤ人追放令を発してユダヤ人迫害を開始してもいたのです。スペイン王室によるユダヤ人迫害は、ユダヤ人の追放だけでなく、ユダヤ教からキリスト教に改宗したコンベルソ(改宗ユダヤ人)にも及びました。その結果、スペイン異端審問所をおそれたユダヤ系の商人たちがスペインから脱出していくこととなり、スペイン国内から有力な商人たちが姿を消していったのです。原作では3巻にあたるエピソードにおいて、アラトリステもまた改宗ユダヤ人とスペイン異端審問所の問題にぶつかることとなりましたが、スペインという国を生み出したイサベルとフェルナンドという、いわゆるカトリック両王は、コロンブスに西回り航路の探検航海の資金を与えるという形でスペインの絶頂期を準備しつつ、ユダヤ人迫害という形でその後のスペインの長い衰退期の種を蒔いてもいたのでした。
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本作の主人公アラトリステが活躍したのは、17世紀前半のヨーロッパですが、当時のヨーロッパの状況はどのようなものだったのでしょうか? まず皆さんに憶えていただきたいのは、当時のヨーロッパ人のものの見方・考え方は、私たち現代の日本人とは全く異なるものであると同時に、現代のヨーロッパ人のそれとも相当に異なっているということです。
例えば現代の工業化社会においては、悪いことをしたら死後に地獄に堕ちるということを本気で信じている人は、あまり多くありません。しかし、当時のヨーロッパ人にとって、死後に天国に行けるかどうかは極めて切実な問題だったのです。また私たちは、ある個人が誰と結婚するとか、どんな職業に就くとか、どこに住むということについて、本人の自由意志を尊重すべきであると当たり前のように考えていますし、全ての人間の価値は本来同じである、つまり、人間というものは平等な存在でなければならないとも考えています。ですが、こうした考え方がヨーロッパに初めて登場したのは、フランス革命の時の「人権宣言」によってですから、アラトリステの死後、実に145年もの歳月が流れているということになります。ですから、私たちは本作を見る時に、登場人物たちが「自由・平等・友愛」という、現代社会において普遍的なものとされている価値観とは無縁の存在であることを頭に入れておかなければならないのです。端的に言えば、「アラトリステ」の世界とは、王族や貴族と平民であれば、王族や貴族の方が価値が高いということを、王族も貴族も平民も当たり前のこととして受け止めている世界であり、また、キリスト教会が推奨する生き方を実践しなければ、死後は地獄に堕ちて永遠の苦しみを味わうということを誰もが心の底から信じている世界なのです。
次に当時の政治状況を見ていきましょう。まず、最も大きな状況としてあるのは、16世紀に始まった宗教改革によるカトリックとプロテスタントの対立です。大まかに言えば、ヨーロッパの北の方(イングランド、オランダ、スウェーデンなど)がカトリックに対して叛旗を翻していたのですが、スペインはカトリック側の超大国としてオランダやイングランドと泥沼の抗争を繰り広げていました。ドイツは当時、神聖ローマ帝国という国で、皇帝はもちろんカトリックの熱烈な信者でしたが、国内はカトリックの貴族とプロテスタントの貴族に分かれて内戦状態となっていました。すなわち三十年戦争です。
しかし、ここが解りにくい点なのですが、当時のヨーロッパの国際政治は宗教だけを対立軸としていたわけではないのです。宗教戦争と裏表の関係にあったのは、王家と王家の間の領土拡張抗争です。本作に特に関係するのはドイツ、スペイン、ポルトガル、オランダ、イタリア半島の半分近くなど巨大な領地を持っていたハプスブルグ家、フランスのブルボン家、イングランドやスコットランドやアイルランドを持っていたスチュアート家です。これらの王家の領土獲得は、二つの方法で行われました。一つは婚姻です。よその王家や大公家との間に婚姻関係を幾重にも張り巡らしておくわけです。そうした婚姻関係の全てが領土拡張に役立つわけではありませんが、どこかの王様や大公様が死んだ時に、一族の中にタイミング良く相続権を手にしていた人間がいれば得られるものは大きく、ハプスブルグ家もこの方法でスペインを手に入れたのです。なお、当時のヨーロッパでは、各国の王家は結局のところ全て遠い親戚同士でしたから、国民の方は何処の出身の誰が新しい王様になろうと、あまり気にしなかったようです。本作の序盤では、このような「婚姻関係」による領土拡張を狙う人物が重要な役回りを演じます。
もう一つの領土拡張方法は、既におわかりのように戦争です。こちらはお金もかかるしリスクも大きい割に、あまり大きな成果が得られないのですが、それでもスペインは結果的に1659年にフランスに負けてルシヨン地方を取られたりしているのですから、手を引くわけにもいきません。そして、このような王室間の戦争を請け負っていたのが、有力な貴族に雇われた傭兵たちであり、アラトリステやイニゴもまた生涯の大部分を傭兵として生きたのです。
しかしながら、傭兵というのは当時でも最底辺の仕事でした。昔流行った言い方ですが、まさに「きつい、汚い、危険」の三拍子が揃った職場であり、しかも薄給の有期雇用で怪我や戦死の際の保障も無かったのです。何故このような職場がそれでも存続していたのかと言えば、当時のヨーロッパもまた格差社会であり、親の生業を継承出来ない子供は傭兵にでもなるか、乞食になるか以外にあまり選択肢が無かったからです。特にスペインという国は上と下の差が激しい国で、莫大な土地を持つ貴族たちが優雅に暮らしている一方、平民は厳しい暮らしを強いられていました。そんな歪な社会構造を持つスペインが、それでもなお超大国であり続けられたのは、ひとえにこれ、新大陸から運ばれてくる金銀や稀少財をスペイン王室が独占的に扱っていたからです。原作の4巻にあたるエピソードでは、アラトリステはこのスペイン王室の生命線を脅かそうとする勢力と王室との暗闘の最前線に身を投じることになります。
ですが、超大国スペインの覇権はこの時代、既に翳りを見せ始めていました。ハプスブルグ家は、そうやって新大陸から搾り取った莫大な富を自国内の産業育成に投資する代わりに、カトリックに刃向かう勢力との泥沼の戦争に使い続けて浪費していたのです。ここで百歩譲ってそうした戦争が仕方無かったものとしましょう。もしも自国内に有力な商人たちが存在しており、スペインが戦争に使うお金がそれらの商人たちに支払われていたならば、新大陸の富は商人による資本の蓄積という形でスペイン国内に留まり、次の時代の産業を育てる原資になっていたでしょう。しかし、スペイン王家はグラナダに最後に残ったイスラム王朝を滅ぼしたその年に、ユダヤ人追放令を発してユダヤ人迫害を開始してもいたのです。スペイン王室によるユダヤ人迫害は、ユダヤ人の追放だけでなく、ユダヤ教からキリスト教に改宗したコンベルソ(改宗ユダヤ人)にも及びました。その結果、スペイン異端審問所をおそれたユダヤ系の商人たちがスペインから脱出していくこととなり、スペイン国内から有力な商人たちが姿を消していったのです。原作では3巻にあたるエピソードにおいて、アラトリステもまた改宗ユダヤ人とスペイン異端審問所の問題にぶつかることとなりましたが、スペインという国を生み出したイサベルとフェルナンドという、いわゆるカトリック両王は、コロンブスに西回り航路の探検航海の資金を与えるという形でスペインの絶頂期を準備しつつ、ユダヤ人迫害という形でその後のスペインの長い衰退期の種を蒔いてもいたのでした。
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「カピタン・アラトリステ」シリーズと映画「アラトリステ」の背景知識と翻訳裏話
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