「カピタン・アラトリステ」シリーズと映画「アラトリステ」の背景知識と翻訳裏話


by KATO Kosei Ph.D
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カテゴリ:6巻( 7 )

イングランドの私略船団

 アラトリステらの乗ったガレーは地中海を東へと向かった。地中海の島々の風景はイニゴに強い印象を与えた。それはアラトリステの故郷であるレオンの山々とも、イニゴの故郷ギプスコアの緑の平原とも、コポンスの故郷アラゴンの岩山とも全く異なるものだった。

 ガレーは僚船をともなってオランからカルタヘナに戻り、そこで補給を済ませると、シチリア島から来ていた2艘のガレーとともに東北東へ2日間航海してフォルメンテラ島へと到達した。そこから左手にマヨルカとメノルカを見てサルディニア島の南端のカリアリへと進んだ。カルタヘナを出航して8日目のことだった。

 カリアリで再び補給を行い、南東に向かって2日でシチリア島のトラーパニへ。トラーパニからムラタは再び単独での航海に戻り、シチリア総督からの書簡と4名の聖ヨハネ騎士団員を載せてマルタ島を目指した。イニゴはしばしば好奇心に駆られてグリアットと会話を交わし、この奇妙な人物が何を思ってアラトリステについて来たのかを感じ取っていった。

 さて、ムラタはシチリア島南端のパッセロ岬でダルマチアの船とすれ違い、付近をイングランドの私略船が2艘でうろついているとの情報を仕入れた。イングランドの船団はランペデューサ島を根城にしているとの話だったので、急遽ムラタは予定を変更し、ランペデューサ島へと向かった。ランペデューサ島はマルタ島の近くにある小島で、人は殆ど住んでいなかった。ムラタは一部の陸戦隊を予め上陸させてイングランド人たちの停泊地を陸側から奇襲させ、敵を混乱させた上で海側から主力をぶつける作戦を採った。アラトリステとコポンスはこの別働隊に配属され、一足先にガレーを降りていった。

 作戦は成功し、イングランドの船団はムラタによって制圧された。小さい方の船はイングランド人に襲われたスペイン船だったので、船は捕虜となっていた元の乗組員たちに返却された。イングランド人たちを指揮していたのはプリマスから来たロバート・スクルトンという男であった。当時のスペインはオランダやオスマン・トルコとは正式に戦端を開いていたので、戦闘で敗れたオランダ兵やトルコ兵は国際法に基づいて扱われていた。具体的には、自ら降服した者たちは故郷へ帰ることを許していたし、指揮官が降服した後も戦闘を止めなかった者たちは捕虜とした。しかしイングランド人はスペインにとっては単なる無法者の海賊でしかなかったので、スクルトンはランペデューサ島の見張り塔から吊され、足下の砂にはカスティリア語とトルコ語でこう書き残された。

「イングランド人の盗賊、そして海賊」

 スクルトン以外の海賊たち(イングランド人が11人、モーロ人が5人、トルコ人が2人)はいずれも奴隷としてムラタの漕手にされた。11年後、ジェノバの海戦でスペインがフランスと戦った時にも彼らのうちの数人は生きていたらしいが、ムラタが浸水した際に誰も彼らを鎖から外さなかった為、彼らはムラタとともに海の底に沈んでいったとの話である。
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by waka_moana | 2011-02-21 12:43 | 6巻

新キャラ投入

4章「モガタス」

 娼館を出たアラトリステは、フランドルの戦友の一人、フェルミン・マラカルザがオランに住んでいることをコポンスから聞かされた。マラカルザはアラトリステらが入隊した時には既に古参兵だった歴戦の勇士だが、オランに配属された後に負傷して除隊し、そのままオランに残ったのだという。オランではこうした元軍人にも「行軍」の分け前が与えられることになっていて、コポンスはいつもマラカルザの所にそれを届けているのだった。

 マラカルザの家へと向かうアラトリステらの背後には、「行軍」で見かけたモーロ人の姿があった。コポンスはアラトリステに注意を促したが、アラトリステはひとまず放っておくことにしたようだった。

 マラカルザはアラトリステとの再会を大いに喜び、イニゴがロペ・バルボアの息子だと知ると、更に喜んで、饒舌に自らの境遇を語った。彼は「行軍」で掴まえてきたモーロ人女性にキリスト教の洗礼を受けさせて妻とし、5人の子供をもうけていた。「(妻は)正直者だし、少し短気だが素直だ。スペイン女はモーロ人女をもっと見習うべきだ。」というのがマラカルザの意見だった。アラトリステも「素晴らしい女性だ」とマラカルザに同意した。

 やがてアラトリステはマラカルザに切り出した。何故、妻子を連れてスペインに返らないのか? マラカルザの答えはこうだった。今更故郷に帰っても、乞食をやる以外に食べていく術は無いし、妻子はモーロ人の血を引いているからスペインでは差別されるだろう。それに、オランなら自分は歴戦の勇者としてそれなりに尊敬されているし、モーロ人が攻めて来たら招集もかかる。が、スペインでは戦争で不具になった兵士など見向きもされない。

 マラカルザの家を辞去しようとする3人をマラカルザは呼び止めて、自分の戦歴を読み上げた。カレー、ボメル、ニウポールト、オステンド、オルデンセル、リンゲン、ユーリッヒ、オラン。国王陛下の安からんことを。3人は壁にかけられたマラカルザの古びた愛剣に向き直り、盃を掲げた。

 アラトリステらが表に出ると、例のモーロ人はいまだにアラトリステを尾行していた。苛立ったアラトリステは電光石火の早業でモーロ人を追いつめ、剣を押しつけて真意を質した。男の名前はアイシャ・ベン・グリアット。アラトリステがスペイン兵からモーロ人女性を助けた場面を目撃し、アラトリステに興味を持ってついて来たのだという。男は流暢なカスティリア語を話し、顔には奇妙な十字の刺青があった。アラトリステが理由を尋ねると、男は自分の複雑な身の上を語った。

 男の父親はベニ・バラニと呼ばれる一族の人間で、これはアラビア語で「異邦人の息子たち」を意味する。言い伝えによるとベニ・バラニの一族は西ゴート族が西地中海沿岸に現れた時代にこの辺りにいたキリスト教徒の子孫なのだという。グリアットの祖父は一族がキリスト教徒の子孫であるという言い伝えを重視し、カディスから誘拐されてきたキリスト教徒の少女を買って、自分の息子の妻とした。それがグリアットの母だった。だから自分はどの宗教にも属さないし、どの土地にも属さない人間なのだ。

 これが、通称「モーロ人のグリアット」とアラトリステが運命的に出会った日の顛末であった。この日以来、グリアットはアラトリステとともに旅を続け、二人の友情は1634年9月、ネルトリンゲンの戦いでグリアットが戦死するまで続いたのである。

 
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by waka_moana | 2010-11-01 22:55 | 6巻

それってエリア88

3章「ワディ・ベルッチ襲撃」

 イニゴが自ら志願して参加した「行軍」は後味の悪いものになった。

 オラン駐留軍を事実上切り盛りするビスカルー曹長はフランドルでの従軍歴があり、アラトリステと共通の知り合いも多く、アラトリステとイニゴが「行軍」に参加することを了承した。

 今回の「行軍」はオランから5リーグ(25キロ弱)ほど行ったところにあるモーロ人の野営地が目標である。この野営地にいるのは、最近スペインへの納税を怠っている一族で、近々スペインから離反してオスマン・トルコ側に付くのではないかと疑われているとのことであった。

 夜襲はあっけなく成功し、スペイン軍は36人の男たちを殺して野営地の女子供や家畜、家財を強奪した。しかし夜襲が済んだ時、夜襲を手引きしたモーロ人が信じられないことを告げた。何とこの野営地は目的の一族のものではなく、スペイン側のモーロ人の野営地だったという。ビスカルー曹長は激怒したが、ともかく大量の獲物が手に入ったことで懐が暖まるのは事実であり、最終的には夜襲に加わった兵士たちを堅く口止めして済ますこととした。

 イニゴは男を一人、自分より若い少年を一人殺した。アラトリステは水を求めて入ったテントで二人のスペイン兵が新生児を抱いた女を強姦しようとしているのを咎めて言い争いになり、一人のスペイン兵は脳天をカチ割られて、もう一人は喉を切り裂かれて息絶えた。新生児はやがて事切れたが、従軍していた神父が母親が止めるのを振り切ってこの新生児にキリスト教の洗礼を施してしまった為、母親は屈辱と怒りのあまり自殺してしまった。またオランへの帰り道では、鞍にくくりつけられた父親の生首を慕って年端もいかない少年が追い払っても追い払っても付いて来たのだった。

 この夜襲はイニゴにとって生涯忘れられない苦い想い出の一つとなった。

 オランでは、久しぶりの奴隷の入荷でお祭り騒ぎとなっていた。「行軍」の分け前にあずかったアラトリステら3人も売春宿に繰り出して羽根を伸ばした。コポンスが「自分はこの街でこうやって一生を終わるのか」と嘆息すると、アラトリステは有り金全てをコポンスに差し出し、更にイニゴを眼光で脅してイニゴの有り金も全てコポンスに与え、この金でビスカルー曹長を買収して除隊許可を取れと薦めた。
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by waka_moana | 2010-09-08 23:22 | 6巻

行軍志願

2章後半

 イニゴとアラトリステは、コポンスが語る北アフリカ駐留軍のありさまに聞き入っていた。

 北アフリカには補給も滅多に来ないし、給料もまず支払われない。それでも北アフリカのスペイン駐屯地が陥落しないのは、愚かなスペイン兵たちはそんな状況でも誇りにかけて全力で戦ってしまうことと、城市が陥落すれば捕虜ではなく奴隷として売り飛ばされるということが主な理由であった。

 当然、そんな任地に行きたがる兵士など存在せず、コポンスのように罪人として送られてくるか、あるいは「イタリアに駐留する」などと騙されて連れてこられるかである。当時のスペインで、不可能に近いことを表す表現として「100人の兵士をオランに送り込む」というフレーズが使われていた所以である。

 コポンスはアラトリステも知っているフランドルの古参兵の話を紹介した。この古参兵も不運が重なってオランに送り込まれ、数年を駐留兵として過ごしていたが、給料の遅配が重なるにつれて彼の堪忍袋の緒はすり切れていった。ある晩、彼は上司の軍曹の喉を掻き切って夜の闇へと消えていった。風の噂では、傭兵としてモーロ人の軍隊に居るのだとか。

 それではオランの将兵は給料も支払われないのに、どこから酒代を調達しているのか?

 「行軍」という隠語で呼ばれる夜襲である。敵対的なモーロ人の集落を闇に紛れて襲撃し、金目のものや家財家畜を全て略奪した上で、女子供を奴隷として売り飛ばすのである。イニゴは尋ねた。

「それは僕がフランドルでやっていたような仕事なの?」
「まあ似たようなもんだ」
「僕も行ってみたいな」
「どこへ?」
「『行軍』に」

 コポンスはまじまじとイニゴを見つめてアラトリステに言った。

「あの小僧が随分と立派になったじゃないか、え?」

 アラトリステはため息混じりに応えるのだった。

「そうでも無いさ・・・」

 
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by waka_moana | 2010-09-08 10:37 | 6巻

作者はサドだ

2章「オランに送られた100人の兵士たち」(前半)

 アラトリステは兵士になったイニゴの生活態度が気になっていた。

 そもそもイニゴが軍人になることは、イニゴの両親も望んでいなかったし、アラトリステもまた「剣よりもペンの方が射程距離は長い」とイニゴに言い聞かせてきた。それ故、ケベードやペレスに頼んで読み書きを教え、本を与えて文学に親しませてきたのだった。現にイニゴは一介の傭兵にしては希有なことに、文学を好む若者となっていた。イニゴもアラトリステらの気持ちは痛いほどわかっていたが、持って生まれた戦士としての資質には抗いようもなかった。今やイニゴは背丈でもアラトリステにひけを取らない、強靱で剽悍な肉体を持つ若武者となっていた。

 問題は、せっかく手にした金を「飲む打つ買う」ですぐに使い果たしてしまうという傭兵の悪癖に、イニゴもまた染まってしまったということである。もちろん若き日のアラトリステも宵越しの金は持たない生活であったが、アラトリステの場合はもっぱら深酒で金を使ってしまったのであって、賭け事には昔から興味は無かったし、女は金で買うまでもなく向こうから寄ってきていた(今も)。

 メリリャに向かうガレーの船尾で、日没直後の海を見つめるアラトリステにイニゴは話しかけた。

「少しは金が入りそうですね」
「皆、賭け事と酒と女であっという間に使ってしまうんだ。金を使わずに貯めていた軍人など見たことはない」
(え? 隊長の親友のコポンス兄貴は・・・・・?)
「私は違いますよ。そもそも船の上には酒も女も無いし、カードは禁止でしょう」
(なんて言いつつもナポリでは放蕩三昧だったイニゴであった)
「ナポリに戻ればわかりますよ」

 メリリャは場末中の場末といった感じの寂れた砦だった。スペイン本国からの投資や補給も最低限で、何故この砦がモーロ人たちに奪回されずに持ちこたえているのかが不思議に思われた。ムラタは奴隷たちを荷揚げすると、夜になる前に出航してオランを目指した。

 オランはメリリャよりはずっとマシな港町だった。ナポリほどではないが、遊郭もあった。傭兵や船員たちはすぐさま女を買いに街へと繰り出していった。

 アラトリステとイニゴは城門で意外過ぎる人物と再会した。故郷のウエスカに帰って農場を始めているはずのセバスティアン・コポンスだ。コポンスはニクラースベルヘン号襲撃の分け前を手に故郷に向かったはずだったが、サラゴサで冤罪まがいの裁判に巻き込まれ、弁護士や裁判所に有り金を全て巻き上げられていた。更に不運は続き、新大陸にでも渡ろうと引き返したセビリアの酒場で補吏2人に斬りつけて再び裁判となり、4年間の禁固刑か1年間のオラン駐留という判決が下った。

 やむなくオランに流れてきたコポンスだったが、1年間の兵役が終わっても除隊は許されなかった。場末中の場末であるベルベル海岸に来たがる軍人はおらず、後任が見つからないという理由である。しかもコポンスたちに給料が支払われたことはついぞ無く、コポンスたちは敵対するモーロ人の集落を襲っては金目のものを奪って糊口をしのいでいるのだった。
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by waka_moana | 2010-09-07 22:27 | 6巻

相変わらず怖いぜ隊長

1章「ベルベル海賊」続き

 ムラタの艦長のマヌエル・ウルデマラスは地中海艦隊で30年に渡り戦ってきた男で、アラトリステの勇名は以前から耳にしていたし、アラトリステが自分の船に配属されたことを心強く思ってもいた。ただ、ウルデマラスには、アラトリステの経歴で気になる点が一つだけあった。アラトリステがカルタヘナ連隊を離れるきっかけとなった1609年のバレンシアでのモリスコ(改宗イスラム教徒)掃討戦である。

 スペイン建国以来のモリスコ弾圧政策により、アンダルシアやバレンシアの海沿いにはモリスコの集落が集められていたが、モリスコとスペイン人の相互対立は根深く、モリスコがベルベル海賊を手引きして海沿いのスペイン人の集落を襲わせることもあった。1609年の問題の掃討戦はベルベル海賊と組んだモリスコの村を壊滅させる戦いであったが、無抵抗の非戦闘員を虐殺する任務はアラトリステの好むところではなかった。

 一方、そうして弾圧されスペインを追われたモリスコ達のスペイン人への憎悪もまた激しいもので、彼らは地中海の対岸に渡ってベルベル海賊となり、かつて自分たちが住んでいた村々を襲ってスペイン人たちを虐殺していた。スペインによるモリスコ弾圧政策は、結局のところ、最も勇猛かつ最も残忍で最も土地勘のあるベルベル海賊を量産していたのである。ウルデマラスにとっては、ベルベル海賊は生涯にわたって戦ってきた敵であり、モリスコに同情を寄せたかに見えるアラトリステの内心は気になるところであった。

 とはいえ、戦闘直後のアラトリステを前にうっかりその話を切り出したウルデマラスは、アラトリステの冷たい視線と口調に冷や汗をかかされる羽目になった。最初は口ひげを撫でていたアラトリステの右手の位置は、いつの間にか腰まで下ろされていた。ここでアラトリステを怒らせれば確実にウルデマラスの命は無かった。ウルデマラスは何とかその場を取り繕うことに成功した。

 制圧されたガリオットの乗組員のうちイスラム教徒は奴隷として売り飛ばすためにひとまず漕手とされ、背教者やモリスコは即座にマストに吊されて絞首刑となった。吊されたモリスコの中には第2次性徴が出たばかりの子供もいた。

 ムラタは進路を変更し、メリリャへと向かっていた。
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by waka_moana | 2010-09-05 00:01 | 6巻

村田丸の船出

 「カピタン・アラトリステ」シリーズ6巻『東方の海賊』のあらすじをこれからしばらく紹介していきますよ。

第1章「ベルベル海岸」

 1627年5月末、アラトリステとイニゴはナポリ駐留のスペイン艦隊の新造ガレー船「ムラタ(Mulata)」に搭乗して、アルボラン島付近を航行していた。ムラタはスペイン商船の護衛の任に就いており、この航海ではバレアレス諸島経由でバレンシアまでスペイン商船を護送し、そこからカルタヘナに移動してオランへと別の商船を護送してナポリへと戻る帰途であった。

 エル・エスコリアルでのフェリペ4世暗殺未遂事件の後、アラトリステの立場は「差し引きゼロ」となった。フェリペ4世の命を救うという殊勲は上げたものの、国王の前での着帽特権以外にはこれといった恩賞も無く、グアダルメディーナ伯爵とは完全に決裂。奇跡的に命拾いしたサルダーニャの計らいでアラトリステは補吏に追われることも無くなったが、マリア・デ・カストロとは完全に関係が終わったし、相変わらず無一文の剣客でしかなかった。
 
 一方、大逆の陰謀が露見したボカネグラは強制的に病院に閉じこめられ、マラテスタの消息は杳として知れない。ルイス・デ・アルケサルは処刑こそ免れたものの、ヌエバ・エスパーニャに左遷され、アンヘリカとともに旅立っていった。唯一ツイていたのはイニゴで、ケベードが王妃のコネで、18歳になると同時に近衛隊に入隊出来るよう手配してくれたのである。とはいえ近衛隊で栄達するには家柄か手柄が必要であり、フランドルでブレダ攻城戦を経験していたとはいえ、正規の軍籍を持っていなかったイニゴは、改めて従軍することになった。

 ロペ・デ・ベガの息子の件でイニゴの腕を買っていたコントレーラスはアラトリステともどもナポリに来るようイニゴを誘い、二人は1626年、バルセロナからジェノバを経由してナポリに渡った。イニゴはついに正規の軍人としてスペイン陸軍に入隊し、アラトリステの従者からアラトリステの戦友へと立場を変えた。

 アラトリステとイニゴの乗るムラタはこの日、コルセール海賊ガリオットを捕捉してこれを制圧した。イニゴにとっては5回目の海戦だった。
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by waka_moana | 2010-09-04 14:52 | 6巻