「カピタン・アラトリステ」シリーズと映画「アラトリステ」の背景知識と翻訳裏話


by KATO Kosei Ph.D
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カテゴリ:文化( 44 )

 なんでも、著者であるレベルテの旦那は、アラトリステが「政治的正当性」に反するキャラなんで、それが映画でどう表現されるのか結構心配だったのだそうです。

 実はわたし、O内から「カピタン・アラトリステ」をやるんで手伝ってくれと言われた時には、日本で言うライトノベルのような本だと思っていたんですね。新書サイズで出ている時代劇とか仮想戦記もののイメージ。あるいは佐藤賢一さんや田中芳樹さんが書かれるような世界史エンターテインメント。

 実際、1巻はほぼその線でまとまっていたのですが、2巻、3巻と進むと、これはどうも様子がおかしいことに気づきました。レベルテの旦那は「カピタン・アラトリステ」の物語に非常に強い批評性を、しかも巧妙に入れ込んでいるんです。2巻で展開された魔術社会・密告社会批判にしろ、3巻で展開された戦争賛美者批判や貧困と戦争の関わりについての問題提起にしろ、多少の教養がある人物ならば、すぐにいくつかの現代的な事例を想起することが出来るものです。しかも、それがエンターテインメントと両立している。

 やるな、という感じです。野谷文昭先生はレベルテ文学を「やや緻密さに欠ける」と評しておられましたが、いやいやここまでやれれば充分ですよ。

 レベルテの旦那はラノベ作家じゃなかった。ジャーナリストとして彼がどんな仕事をしたのかは知りませんが、きっとジャーナリストの名に値するクオリティの仕事をしていたことでしょう。日本ですと、どう見てもただのライター、あなた本や論文をまったく読んでいないでしょみたいな方でも気軽にジャーナリストを名乗っておられますが、レベルテの旦那はそのレベルの書き手では無かったようです。失礼しました。

 ところで「政治的正当性」とはどんなものか。これは私の理解においては、マイノリティ研究の文脈から出てきたもので、特にこういった文章表現の分野では、「表現そのものに差別が潜んでいる」表現の告発と是正という形で展開してきました。

 例えばそうですねえ。現在の日本ですと、労働問題や年金問題の議論において「専業主婦」という表現が頻出します。しかし、実は「専業主夫」すなわち国民年金の第三号被保険者である男性も十万人単位で存在している。しかも、この「専業主夫」は「専業主婦」に較べて年金の取り扱いで極めて扱いが悪く、「専業主婦」であれば何歳からでも受け取れる遺族年金や労災年金は「専業主夫」の場合、55歳以上でないと受け取れなかったりしますし、母子家庭には母親の収入額不問で支給される児童扶養手当も、父子家庭は問答無用で対象外。

 酷い。

 しかも、年金問題や労働問題の議論が「専業主婦」という言葉を用いて議論される為に、「専業主夫」だけが抱えるこうした問題点は隠蔽されたままになってしまう。

 こういうのはアンフェアだから、「専業主夫・主婦」というように平等な表記をすべきだというのが、文章表現の分野における「政治的正当性」の、もっとも分かりやすい表出です。

 それで「カピタン・アラトリステ」シリーズに戻りますと、語り手であるイニゴくんはプロテスタントを基本的に鬼畜扱いしていますし、隊長はカリダという愛人がいながら、結構行く先々で女性をつまみ食いして歩いている。いざ戦闘が始まれば情け容赦なく敵を殺戮する(覚悟しておいていただきたいのですが、3巻は隊長のバイオレンス全開ですからね)。

 こういうお話は、当然「政治的正当性」コードに引っかかるわけですよ。しかし、そこで隊長を品行方正な現代人にしてしまっては、この物語の魅力の大半は失われてしまう。どうやら映画のモーテン先生はその辺をきちんと理解して、善悪混沌としたヒーローである隊長を上手に演じられたようで、私もほっとしております。

 
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by waka_moana | 2006-09-08 10:10 | 文化
 アラトリステの時代に、スペインの偉い人が聴いていた音楽のライブがあるようです。場所は大分。なんでもザビエルの時代に日本列島で(文献に残る限りでは)初めてグレゴリオ聖歌が上演されたのが現在の大分県とかで、かなりこじつけくさいですがスペインのマイナーな音楽家を色々と呼んで音楽祭をやっているようですね。

豊後ルネサンス音楽祭2006
http://www.bungo-m.jp/

 かの「グレゴリオ聖歌」のCDが大ヒットしたスペインの聖歌隊も来日するらしいです。これは東京にも立ち寄るようです。

 なお、マンハッタン・ジャズ・オーケストラとグレゴリオ聖歌に何の関係があるのかは、私には想像も付きません。それからスペインの黄金時代(16世紀後半から17世紀前半)とルネサンス時代(14世紀から16世紀前半)は一般的にも音楽史的にも別の時代なのですが、それが何故ここで登場するかも不明。
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by waka_moana | 2006-09-04 11:59 | 文化

またも爆走イニゴくん

 現在はレオン州を北上中のブエルタ・ア・エスパーニャですが、一昨日の山岳ステージではやはりエウスカルテル・エウスカディのイニゴくんが単騎逃げに挑んでくれました。
 
 最終的には潰されたんですけどね。

 昨日のステージでブエルタ・ア・エスパーニャはレオンに到着。隊長の中の人もゴール前で観戦していたのでしょうかね。

 ところで空。スペインの空って青いっす。緑色は明らかにフランス>イタリア>スペインなんですが、空の色は圧倒的にスペインです。
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by waka_moana | 2006-09-01 12:28 | 文化

今夜はトレドです

 NHK総合午前零時より

「世界ふれあい街歩き:輝く古都トレド」 

 2巻ではこの街に拉致られた●●●が酷い目に遭います。
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by waka_moana | 2006-08-30 10:38 | 文化
 この記事は17世紀初頭のスペインに関するお話です。

 「カピタン・アラトリステ」シリーズ翻訳の為、当時のスペイン社会についても色々と調べているのですが、戦争大好きな国家が社会の内部に格差を抱えていると、徴兵制なんか無くても事実上の徴兵制みたいになっちゃうんだなあ、というのがしみじみ理解されました。

 謎の男アラトリステが何故軍人になったのか。それは隠されたままですが、イニゴくんが何故軍人になったのかは明白です。「他に食べていく術が無かったから。」彼だけではありません。実は当時、スペインの軍事力を支えていた人々のほぼ全てが「故郷に生業が無かった」人たちでした。

 当時の軍隊に参加している人々には二種類がありました。そう、貴族階級出身者と平民の出身者です。貴族階級出身者は士官になりました。少尉以上の軍人はだいたい貴族階級出身者です。平民出身の古参兵の叩き上げが望める一番上の階級が軍曹あるいは准尉でした。

 貴族階級出身者で軍人になっていたのは、家そのものが傾いて地代収入や年金では暮らせない没落貴族か、家そのものは安泰だけれども家督と財産と爵位は嫡男(普通は長男)が総取りするので、外に働きに出るしかない次男以下の連中でした。こういった連中はいつの時代も茨の道を歩むのですなあ。かのシャーロック・ホームズも仕事が無くてロンドンに出てきた次男でしたね。

 平民階級出身者で軍人になっていたのは、やはり家業を継承出来ない次男以下の連中。あるいは耕作地が(戦場になるなどで)荒れ果てて農業が続けられなくなったとか、職人修業はしてみたもののギルド内で流通する限られたポスト(親方株)を手にすることが出来なかったとか。そういう人たち。

 つまり、軍隊に参加しないと生活出来ない人たちですね。他に行き場が無かった。あとは893になるか、新大陸で先住民の財産を強奪するかみたいな。

 ここで注目していただきたいのは、上記諸事情の殆どが「予め生業を奪われていた」というケースに該当するってことね。生まれた瞬間に敗北者コースが確定していた。社会の最底辺に行くことが生まれた段階で決まっていて、階層上昇を果たすには軍隊で手柄を上げて出世するか、国外で一旗揚げるかしか無かったわけです。そして、こうした「軍人になるしかないぞ階級」は再生産され続けました。つまり軍人の子は親から引き継ぐべき生業が何も無いので、物心付いたら戦場に出て金目のものを掠め取って生きるしか無く、やがては親と同じく軍人となっていった。イニゴくんがそうじゃないですか。父親は戦場で戦死し、しかし国家による遺族年金なんてものも無いので、物心ついたら即戦場行き。

 実は現在のアメリカ合衆国もそんな感じなんですね。中流階級以上の子弟は普通は軍人になんかならない。なるとすれば士官学校を出て士官になる。現代の戦争で士官以上と下士官以下の兵士の死傷率は笑っちゃうくらい違いますからね。最前線に出る軍人になるのは下層階級の子弟ばかりです。取りあえず食いっぱぐれは無いし、戦場に出て生きて帰れば大学の学費を国が出してくれるので。大学くらい出ていないと中流階級にはなかなかなれない国ですからね(博士課程まで出ると下層階級に逆戻りしがちなのは米国も日本も同じ)。

 以上、徴兵制なんか無くても、生まれた時点で勝ち負けが決まる社会にしておけば兵隊のなり手には不自由しないというお話でした。
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by waka_moana | 2006-08-30 00:11 | 文化

reconquista→1492→conquistador

 アラトリステ隊長の中の方がレオン市の名誉市民になるそうですね。

 しかし、日本でレオンといえば普通は元大洋ホエールズのレオン・リー。お兄さんはレロン・リーといいましたね。他に有名なレオンってありましたっけね。無いよね? 

 しかし、スペイン王国でレオンといえば、これはそれなりに重大な名前なんですね。なんせほら、もともと今のスペイン王国の元祖はアストゥリアスのあたりからせっせと南に領土を広げてアストゥリアス王国、レオン王国、カスティージャ王国、スペイン王国と膨張していったわけですからね。ご存じでしたか? スペイン王国の王太子は「アストゥリアス公爵」を名乗るって。イングランドの皇太子が「ウェールズ大公」を名乗るのと同じですが、スペインの場合は王国発祥の地という意味合いもある。

 そのレオン方面から南へ南へと領土拡大していったあの運動を「レコンキスタ」といいます。日本語にすれば「再・征服」。かつてゴート族として征服したイベリア半島をもう一度征服するぞって話でしょうか。

 これが終わったのが1492年ですね。グラナダ陥落。

 ところでこの年、カスティージャのイサベル女王から資金提供を受けて出航した冒険家がおりました。ご存じコロンブス。スペインではコロンColonと呼ばれております。この方がその存在をスペインに伝えたことから始まったのがスペインのアメリカ征服。これに邁進した郷士(自称含む)のみなさんを「コンキスタドーレス」と呼びますね。「征服者たち」。

 左様。要するにレコンキスタとコンキスタドーレスは同じ運動、非キリスト教徒の土地を切り取り強盗しに行く運動の前半と後半だったわけです。

 ちなみにバルセロナの旧市街にある(冴えないという噂の)「王の広場」。あの広場を取り巻く建物は一応宮殿なのですが、イサベルとフェルナンドがコロンブスから西インド諸島到達の報告を受けたのがあそこだったそうです。

 さて、ユーロの150円突破はもはや目前。これはしばらく欧州方面には行けないぞという方にお勧めのアルバムがこれ。

Chieftains "Santiago"
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 これは面白いアルバムですよ。アイルランドの伝統音楽の大御所が「サンティアゴ巡礼路」をテーマに制作したアルバムなんですが、なんとアルバム後半はラテン・アメリカ音楽が大胆に取り入れられているんです。要するにそういうことです。
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by waka_moana | 2006-08-26 21:55 | 文化

見当たらぬ

 いよいよ本国での映画の公開が迫ったようで、渡西する人々が出始めたようですね。「アラトリステ」。史上最高のユーロ高+原油高(による航空運賃割り増し)+首締め強盗再ブームの三重苦をものともせず。いやまじでユーロ高すぎですよ。

 さて。せっかくプラド美術館を訪れるのであれば、是非とも見てくるべき名画がもちろんありますね。「ブレダの開城」。噂ではこの絵のどこかに隊長が描かれているそうですからねえ。馬の後ろとかなんとかイニゴくんは1巻1章で書いていますが・・・・。果たしてどれが隊長なのかは、これはもう皆さんの心眼がいかにモーテンセン先生一色に曇っているか次第ですね。

 ところで1巻2章です。イニゴくんがアンヘリカちゃんの思い出に浸る箇所。ここでイニゴくんは確かに「ベラスケスが成人したアンヘリカの絵を1635年頃に描いた」と言っています。頃というのは美術館ではcirca 1635となります。

 話を戻して、しかし色々調べてはいるんですが、イニゴくんが言っているのがどの絵のことなのか、皆目わからんのです。1635年といえばベラスケスは「ブレダの開城」を完成させた年。既にイタリア留学からも戻って、王室画家としても王付きの官僚としても脂が乗りきった時期です。が、この頃の彼の絵で有名なのは、だいたいがむさ苦しい男ばかり描かれた作品なんですよ。あるいは王子様とかね。

 生涯でわずか120点ほどしか描かなかった(官僚としての仕事が忙しかったので)人ですから、もしも実在の絵なら、だいたいどれかわかるはずなんですが。これはレゾネを確認するしかないのかな。イニゴくんは「有名な絵」と言ってますよねえ。ううむ。

 というわけで、もしもプラドにてそれらしい絵を発見された方、デジカメで撮るのは止めて(絵が傷むので)、タイトルだけ私に是非教えてくださいまし。
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by waka_moana | 2006-08-23 01:30 | 文化
 「カピタン・アラトリステ」シリーズでは、登場人物がたまにカルタ賭博で盛り上がるシーンが出て参ります。特に2巻では●●●●●●●●●と●●●●●がビクーニャの賭場で密会するシーンなんかもあったりして、なんか大人の雰囲気って感じですな。
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 そのカルタ(邦訳では日本語の慣例に従って「トランプ」としていますが)、現在私たちが知っているあの「トランプ」とはデザインが少し違うみたいです。日本で普通「トランプ」といえば「スペード、ダイヤ、ハート、クラブ」で、なんでしたっけ、なんかそんなデザインの奇天烈な扮装をした戦隊がいましたね。ゴレンジャーか? 
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 なのですが、当時のスペインで使われていたのは剣、聖杯、コイン、棍棒だったようです。ネット上でそれらしい画像を拾って来ました。剣がスペード、聖杯がハート、コインがダイヤ、棍棒がクラブへと簡略化されたわけですね。それぞれ騎士、聖職者、商人、農民を象徴するなんて意見もあるようですが、詳しいことは藪の中です。
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by waka_moana | 2006-08-19 17:59 | 文化
 「カピタン・アラトリステ」翻訳チームは結構バラバラに作業をしておりまして、今現在でも4巻、3巻、2巻の作業が別の場所で並行して進んでいると言われています。私の所の工程はただいま3巻の真っ最中。

 3巻は原著のタイトルからもわかるように、八十年戦争のブレダ攻城戦がテーマです。

 ・・・・・と書いて何のことか分かる人、果たしておられるのでしょうか?

 「八十年戦争」というのは、オランダとスペインの間で戦われた足かけ80年に及ぶ消耗戦のことです。俗に「オランダ独立戦争」とも呼ばれますが、近年の研究では、当時のネーデルラント反乱軍は別に国家として独立しようと戦っていたわけでもなく、とにかくスペインが気に入らないので、そして一旦戦火の火ぶたが切られればあとは遺恨が遺恨を呼ぶので(馬鹿なユダヤ人が今レバノンでやっているのが良い悪例)、ずるずると戦い続けていたら、もうハプスブルグの傘下に戻るわけにもいかず、かといって他に引き取り手もなく、結果的に独立するしかなかったというだけの話だったと考えられています。

 だって八十年戦争の間に、現オランダの議会は「オランダの宗主権をスペインではなくフランス国王に委ねる」決議をしたのに、フランス国王から断られてるんですから。

 さて。封切りカウントダウンが始まってじゃんじゃん流れてくる映画の画像。私がほほうと思ったのはこの一枚。
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 これは良いですね。O内に当時の戦場の様子を理解させるのに最適な一枚です。

 まず隊長が小銃と一緒に持っている、先が二股に割れた棒に注目してください。これ、叉杖(さじょう)と言います。銃を撃つ際には地面に突き立てて、銃身を載せます。モノポッドの一種ですな。銃火器にはこの手のグッズ、結構使うんですよ。機関銃はトライポッド=三脚に置きますし、現代の狙撃銃はバイポッド=二脚を銃身に付けて、伏射で使うことが多いです。なんたって銃身が安定しますから、当たりやすくなるんですよ。ちなみに、叉杖を使わない小型軽量の銃もありました。歴史的にはそちらの方が古いのですが、命中精度やストッピングパワー(対人殺傷力)を向上させた結果、火縄銃はより大きく重い方向に発展しました。これをマスケット銃と言います。邦訳では小さい方を「火縄銃」、大きい方を「マスケット銃」と表記しています(これは私の判断ではないです)。

 叉杖を持っている隊長が装備しているのは、当然マスケット銃ですね

 次に隊長の肩から斜めにかかっているベルト。これは「弾帯(だんたい)」です。ベルトからぶら下がっているのは一発分の発射薬です。当時の銃は現在のようなカートリッジ式じゃなくて、一発撃つごとに装薬・装弾が必要だったんです。
 
 それから隊長が指で持っている縄。これが火縄です。戦闘が始まるとここに火を付けます。発射の際は火のついた先を金具に固定するわけです。

 それから隊長の後ろで長い槍を持って並んでいる人たち。これが矛槍(パイク)兵です。当時のスペイン陸軍の主兵装がこれでした。長さは4メートルから5メートルあります。隊列を組んで使うと、これがとてつもない攻撃力と防御力を発揮します。だってこんなのが何十本も槍衾になって突き出して来るんですよ。重装騎兵(完全に装甲で覆われた騎兵)だってうかつに近づくと馬から叩き落とされて、鎧通しでトドメを指されてアーメンでした。

 当時のスペイン陸軍は、この矛槍兵を縦横に何十列も並べていました。そしてその外側を2列のマスケット兵(ムスケテロ)が取り巻き、方陣の四隅にはマスケット兵だけで組んだ小規模の方陣を配置する。これがスペインの誇るテルシオ(スペイン方陣)です。この陣形は最終的にロクロワの戦いで歴史の表舞台から退場します。隊長とともに。
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by waka_moana | 2006-08-14 21:24 | 文化
 「カピタン・アラトリステ」シリーズに登場するいけない子たちの武装といえば、レイピア、マン・ゴーシュ、ピストルの三点セットが基本ですからね。

 さて、みなさま。ピストルというと小銃の小さいものというイメージをお持ちかもしれませんが、昔から今に至るまで、小銃とピストルでは弾を撃ち出す機構はかなり異なっておりました。例えば現在の小銃はというと、一発撃つごとに手動で空薬莢を排出して新しい薬莢を装填するボルト・アクション・ライフルと、弾丸発射時に銃身の中に充満しているガスを小さなパイプで吹き戻して、その勢いで次弾を装填するオートマチック・ライフルの二種類。一方ピストルは、回転式の弾倉を指の力でエイヤと回す(引き金を引くと回る)ダブル・アクション・リボルバーか、あるいは発射時の反動(ブローバック)で次弾を装填するオートマチック・ピストルの二種類。

 それでは隊長の時代のピストルはどうだったか。

 ご存じのように、隊長の時代、小銃とは即ち火縄銃でした。引き金を引くと火縄が火薬皿に押しつけられて、火薬皿から銃身の中にある発射薬に火が回る。機構は単純だから安価に作れて、信頼性も高い。

 一方、こういう剥き出しの火縄を四六時中燻らせているわけにもいかないのがピストルです。そこで、コストや信頼性を多少犠牲にしてでも、火縄を使わないで発射出来る装置が求められました。彼らが思いついたのは、火打ち石を使う方法です。引き金を引くと火打ち石が打ち合わされて、その火花で火薬皿の導火薬に点火する。

 この時代、ピストルの発射装置には二種類ありました。フランドルで発明されたスナップハンス・ロックと、スペインで発明されたミュクレット・ロックです。機構的に優れていたのは後者でした。というのは、スナップハンス・ロックは発射前に「撃鉄を起こす」「火蓋(火薬皿の蓋)を開ける」の二つの動作が必要だったのですが、ミュクレット・ロックは、撃鉄が落ちる時に自動で火蓋が開くような工夫してあったのですね。だから「撃鉄を起こす」だけで発射準備が完了した。

 それでは1巻でピストルが重要な小道具となるあの場面を読んでみましょう。180ページから。イニゴくんが二丁拳銃でマラテスタ師匠の手下を退治するところです。もうお判りでしょう。イニゴくんは撃鉄を起こしただけで発射準備を終えていますから、彼の使ったピストルはミュクレット・ロック・ピストルなんですね。

 ちなみにピストルが火縄を廃した理由としては、もっと面白い説もあります。夜陰に紛れて他人の持ち物を掠め取るのがお仕事の皆さんが使い易いよう工夫された、というものです。なんせ火縄に火を付けたままでは、せっかく夜になったというのに、火縄の火が目立ってしょうがないですからね。もちろんイニゴくんだって火縄式のピストルじゃあ、あの場面でもあっという間に見つかっていたでしょうね。
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by waka_moana | 2006-08-01 21:16 | 文化