「カピタン・アラトリステ」シリーズと映画「アラトリステ」の背景知識と翻訳裏話


by KATO Kosei Ph.D
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カテゴリ:文化( 44 )

 ツール・ド・フランス、最終ステージが始まりました。総合優勝争いは前代未聞の大どんでん返しの応酬でしたが、どうやらフロイド・ランディスで決まったようです。スペイン人選手は19ステージ発走までオスカル・ペレイロ・イ・シオが総合トップだったのですが(2位は同じくスペイン人選手のカルロス・サストレ)、スーパーサイヤ人化したランディスの爆走で陥落。

 我らがイニゴ・ランダルーチェ選手はトップから1時間48分遅れの51位で今日のスタートを迎えました。エウスカルテル・エウスカディ・チームでは2番目の成績。

 今日は殆ど凱旋走行みたいなものなので、本気の勝負は多分無しでしょうね。出来ればペレイロに掟破りのガチンコアタックを仕掛けて欲しいですけれども・・・・・。沿道の観客も応援というよりは「よくやった」という拍手に見えます。

 

 
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by waka_moana | 2006-07-23 21:18 | 文化

イニゴはしる

 サッカーのワールドカップの興奮もさめやらぬ7月中旬なわけですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。私はワールドカップに引き続き、ツール・ド・フランス観戦の毎日です。既にツール・ド・フランスも中盤戦が終わり、いよいよ明日からは終盤、アルプス越えの一週間が始まりますね。

 その中盤の山場はなんと言ってもピレネー越えです。今年は第10ステージと第11ステージがピレネーだったのですが、なんかもう、スプリンター系の選手なんか「憂鬱」とタイトルをつけて額に入れてどこぞの写真展に飾ってありそうな顔してましたね。

 さて。この第10ステージはバイヨンヌ近郊のカンボという町を出発して3級、超級、1級の三つの山岳を越え、ポーの町へとなだれ込む202キロ。スタート直後にアタックをかけた(集団を振り切って先行しようとすること)のはスペイン人選手エルナンデス。エルナンデスの逃げは潰されますが、次の大規模アタックに同じチームのイニゴ・ランダルーチェが食らい付き、結局このイニゴ君は3位でフィニッシュしました。

 自転車乗りイニゴ君やエルナンデス君の所属チーム名は「エウスカルテル・エウスカディ」。ここでピンと来たあなた。ちょっとスペインに詳しすぎなんでこのウェブログを読むのは止めてください。いや、読んでもいいけど突っ込みは控えめに。

 ・・・・・話を戻して「エウスカルテル・エウスカディ」。このチームはその名の通りエウスカディのチームです。え? エウスカディなんて知らないって? Pais Vascoとも書く。つまりそのあれですよ。バスク地方。エウスカディというのはバスク語で「太陽の子孫」を意味する「Euzko」という言葉をもとに、19世紀末に創られた造語です。「エウスコの国」という意味ね。

 もともとエウスカディは自転車競技が盛んな土地で、特に山岳スペシャリストの名産地。またツール・ド・フランス5連覇、ジロ・デ・イタリア連覇、2年連続ダブル・ツール達成という、ロードレース史上最も偉大な選手の一人、ミゲル・インデュラインを輩出したことでも有名です。それでこの「エウスカルテル・エウスカディ」。そのエウスコたちだけを集めて、「ツール・ド・フランスとブエルタ・ア・エスパーニャのピレネーステージで男を見せる」という目的で創設されたチームなのだそうです。

 ここまでを頭に入れてこの第10ステージ。フランス側のバスク地方のど真ん中からスタートして、バスクの中のピレネーを越えていくわけですから、これはもう後のことなんか知ったことかで行くしかないんですねえ。エウスカルテル・エウスカディのチームカラーやレプリカユニフォームを着た応援がやたら目立ったのも頷けるというもの。実はステージ前半の峠でチームのエース、イヴァン・マヨが千切れるというまさかまさかの事態が発生しておりまして、多分監督はイニゴに言ったんでしょうな。

「明日からはどうなっても良いから、今日は意地でも逃げ集団から遅れるな!」

 こちらのイニゴ君も監督の特攻指令に応えて頑張った。偉い。

 ところでね。我らがカピタンの従卒の方のイニゴ君、出身はどこだかご存じでしょうか? 1巻の出だしの辺りに書いてあったはずです。ギプスコア。ギプスコアというのはサン・セバスティアンを中心とした地域で、バスク地方では海岸沿いで一番フランスに近い辺りですね。つまり彼も現代に生まれていれば、「エウスカルテル・エウスカディ」だの「アスレティック・ビルバオ(リーガ・エスパニョーラの古豪)」だのに入る資格があったということです。(もっと詳しい彼の出自は2巻の中でドンデン返しのネタの一つに使われていますのでここでは秘密)

 それにしても、作者がイニゴ君の故郷をバスクに設定したのはどんな意図があるんでしょうかね。ここで私が思い出すのは、作者レベルテのアイドル、かの文豪デュマであります。彼の代表作「ダルタニャン」シリーズの主人公ダルタニャンやその上司である銃士隊長トレヴィルは、いずれもガスコーニュ出身となっています。ダルタニャンは実在の人物なんでデュマがわざわざガスコーニュに設定したというわけでもないのですが、ともかくデュマはガスコン(ガスコーニュ人)を「頑固者」の代名詞として劇作をしているんですな。フランスの中でも一風変わった頑固者を生み出す山の辺の田舎。それがガスコーニュ。

 しかしながらスペインにはガスコーニュはありません。ただし似たような土地ならある。ピレネーの山の方に変な頑固者を産する土地がある。それがエウスカディだったのではないでしょうか。そう考えるとですね、もしかしたらイニゴ君とカピタンの関係というのは、ダルタニャン君とトレヴィル隊長のようなものなのかなと。

 あれ? そういえばカピタンってどこの産でしたっけ? よく考えたら彼の出自って私もまだ知らないような・・・・? 実はカピタンって謎に包まれた人物なんですよね。まあ物語が進むにつれて少しずつ彼の謎が明かされていくわけですが。カピタン=トレヴィル隊長説が正しければカピタンもエウスカディのどこかってことになりますかね。

 あ、そうそう忘れてた。2006年ツール・ド・フランス第10ステージのゴール地点ポー。この町こそがガスコーニュの一つの中心地です。要するにあの日のイニゴ君はフランス・バスク3県を団子3兄弟みたいに串刺しに貫いて、ダルタニャンの故郷ガスコーニュに向かったってこってす。
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by waka_moana | 2006-07-17 23:12 | 文化
 昨日の記事では、マラテスタ師匠の出囃子に多分一番イメージ近いのは、ヨハンや伝ヴィターリのヴァイオリン独奏曲だという話になりました。

 たしかにどちらも、おそらくはイニゴくんがアンヘリカの色香に迷って死ぬ目に逢い続けていた時代に、「シャコンヌ」として演奏されていたメロディを元ネタにしているはずです。みなさまが音楽室で習った「天才の創造した芸術!」という煽りとは違って、「クラシック」の大作曲家・名曲というのも結構、そこらに転がっている出所不明のメロディを元ネタにしているもんなんです。そういうものを雪だるま式に複雑化させて幾多の名曲にでっち上げていったのが、音楽の教科書の「音楽史」の裏というか黒歴史なのであります。

 しかし。今CDで買って聴けるような演奏はというと、彼らが聴いていたのとは似ても似つかない、遙かにパワフルな演奏なんですねこれが。アコースティックギターとエレキギターくらい違う。

 何が違うといって、まず楽器です。というのは、ヴァイオリンがなんとなく今の形に近づいてきたのが17世紀後半。イタリアはクレモナのニコロ・アマティ(1596-1684)という人がヴァイオリンの形をほぼ決めて、この人の直弟子だったアントニオ・ストラディヴァリ(1644-1732)がヴァイオリンの胴体の設計を完成させたのです。実際、アマティやストラディヴァリが当時制作した楽器は、現在でも現役のものが数多くあり、億単位の値段を付けて取引されていますね。

 しかあし。ストラディヴァリが完成させたのは、ヴァイオリンの胴体。胴体部分の設計だけですよ。実は当時はえらい人の家の中のさほど広くない部屋でチーチー弾いていればそれで事足りたので、さほどの音量が求められなかったんですな。今みたいに何千人入る大ホールの最後列まで生音を届かさなければいけないソリストとは使い方が全然違う。

 ですから、当時はネックの部分の角度も緩く、ブリッジは低く・・・・要するに弦の張力が今とは比較にならんほど緩かったんですね。それで良かったんです。チューニングだってA=440ヘルツになったのは1939年ですからね。マラテスタ師匠の時代は国により人によりチューニングはバラバラでしたが、概ねA=410ヘルツ前後でした。ほとんどスラックキーっすよ。バロックは、モダン・ハワイアンだったのね。

 弓も違いました。今では「バロック弓」なんて呼んでいますが、今の弓よりも張りが弱い弓を使っていた。その弓が現在の形になったのは18世紀末です。さらに古い楽器はネックの角度をきつく修正され、指板とブリッジをつけかえられ、どんどんでかい音、強い音が出せるようにチューンナップされていきました。ストラドだグァルネリだなんて言ってるけど、要は車好きのアンちゃんが足回り変えてタイヤ変えてシート変えてエンジンいじってってやってるのと同じですからね。より下品によりパワフルに。これですよ。ベンツを下品にチューンナップして売ってるAMGという会社があるでしょう。あんな感じ。

 そうやってAMGチューンが基本になったヴァイオリン。運転法じゃなかった演奏法も段々下品になって参ります。これは最近出た研究なのですが、今や猫も杓子も朝から晩までという感じでフルフル震わせているあのビブラート。あれが始まったのは20世紀の前半だったということが明らかになったのです。というのは19世紀のヴァイオリニストの残した録音を聴くと、ほとんどビブラートというものをしていないんですねこれが。世のヴァイオリニストたちをエヴリデイ・エヴリタイム・ビブラートに向かわせたのはレコードだった。というオチのようです。

 つまりですね。ごく初期の録音機材というのは貧弱でしたから、ヴァイオリニストは機材に近寄って弾かなければならない。あるいは従来よりもでっかい音を出すか。ところが機材に近寄って弾くと楽器が機材に当たる事故が頻発して、お宝の楽器にキズはつくわ「録りなおし」になるわ散々でした。それではっつって従来よりもでっかい音で弾くと(もちろん彼らにその技術はありました)、弓がグギギと弦をこする生音まで録音されちゃったんですよ。離れて聴いてもらうぶんには、そういう音は聞こえないですからね。なんとなればそういう音をヴァイオリンの胴体は増幅しないので(共鳴しないから)。良くできていたんですね。さすがはストラディヴァリだ。しかし、もはや一流ヴァイオリニストたるものレコーディングは避けて通れない(だってそうでしょ。レコーディング・アーティストになることこそ一流の証しなんですからね)。

 そこで考え出されたのが、オルウェイス・ビブラート奏法だったのではないか。別に音程を揺らしたって音圧が変わるわきゃないんですが、聴感上は不思議と音が大きく聞こえるんですよこれが。よく言えばメリハリが付く。悪く言えば・・・車高落としてでっかいタイヤ履かせた車が妙に大きく見えるのと同じですな。皆までは申しますまい。

 そんなわけで、少なくともマラテスタ師匠やアラトリステの時代のヴァイオリンというのは、現在のこれ、右側のリンクでご紹介したCDで聴ける演奏とは似ても似つかぬものだったというお話でした。
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by waka_moana | 2006-07-10 00:06 | 文化

口笛吹いて

 「カピタン・アラトリステ」シリーズの登場人物は、特に悪役に見所のある人物が多いのですが、その中でも小生が一押しの怪男児が、ご存じグアルテリオ・マラテスタ。イタリアはシチリア島出身の殺し屋で、アラトリステの宿敵として大活躍するお方です。既に読了された方はマラテスタ師匠の魅力をよくご存じのことでしょう。

 さて。マラテスタ師匠といえば、何と言ってもその出囃子ね。ただしマラテスタ師匠は無駄金を使わないクールな男なので、出囃子の演奏は他人任せにせず、自分で演奏しながらの登場が基本のようです。

 曲は「シャコンヌ」。それでは「シャコンヌ」ってどんな曲なのか。一応、私は日本音楽学会正会員ですから、適当なことを書くにしても、それくさい粉飾は施さなければいけません。というわけで、昔使った教科書を引っ張り出して調べて参りましたよ(修士課程の院試で使って以来なんだなこれが)。

 まず押さえておきたいのが、「シャコンヌというのはジャンルの名前であって、特定の曲の名前ではない」ということ。だから駅前のツタヤに行って「マラテスタ師匠のテーマソングください」と言っても、この曲というのを決められないんですね。

 それでは、具体的には「シャコンヌ」というのはどんな音楽なのか。順に説明してまいりましょう。

 ヨーロッパのえらい人が耳にしていた音楽のことを、現在では「クラシック」と呼ぶわけですが、アラトリステたちがマドリッドの裏通りで暗躍していた時代すなわち17世紀のアタマくらいというのは、この種の音楽の一大転換期でした。西洋音楽史的な時代区分法で言うと、バロックという時代に当たります。学生には「バロックは1600年から1750年まで」と憶えさせます。もちろん現在の音楽学ではそんな豪快な割り切りはしていないのですが、四捨五入すればそんな感じ。17世紀が始まってからヨハン・セバスティアン・バッハが死ぬまで。1600年頃に「クラシック」の基本的な形が出来上がり、古典派、ロマン派の時代にその形でやれることが限界まで追求されて、印象派でアンコールをやって、その後は「現代音楽」という別のジャンルになる。その始まりの時代がバロック時代だったんですね。

 16世紀まで、ヨーロッパのえらい人が聴いていた音楽の中心は声楽でした。声が主役。以前にブームになった「グレゴリオ聖歌」なんかを想像していただくとわかりやすいですね。ところが、17世紀に入る頃になって、楽器の性能がググっと上がって参ります。良い楽器を作れるだけヨーロッパ社会が豊かになってきたということもありますし、いい加減、声楽に飽きたということもあるでしょう。そして17世紀に花開いたのが、様々な器楽でした。インスト楽曲ですよ。中心となるのは鍵盤楽器です。特に幅をきかせていたのがハープシコードとオルガンです。それからバロック時代前半にはリュートというのもまだ頑張っていました。

 そして、えらい人の為に、えらい人の家で、えらい人に雇われている専属の楽隊が、ハープシコードやリュートで演奏して差し上げていた器楽曲の中に、えらい人たちが踊るための曲、すなわち舞踏曲というものがあったのでした。「シャコンヌ」はこの舞踏曲の一つのジャンルですね。ネタとなったのはスペイン方面の民俗音楽だったようです。その雰囲気をパクって、えらい人用に上品に仕上げた。辞書的な説明はこんな感じです。

「この種の舞踏曲は低声部で短い主題が何度も繰り返され、上声部では対位法的進行が変化しつつ続く構成であり、またパッサカリアやシャコンヌにおいては、和声的進行に基づくどちらかといえば自由な変奏曲となるものもあった。」

 なんのことだかさっぱりわかりませんなあ。これを分かりやすくも適当に書き直すとこうなります。

「鍵盤奏者の左手はひたすら同じテーマを弾き続け、逆に右手は追いかけっこしながら次々にビミョーに変化していくようなメロディをチャラチャラと展開した。さらに和音の繋げ方のセオリーが確立してくると、左手で淡々と和音を弾きながら右手で適当に雰囲気を出してアドリブを繰り出す曲をパッサカリアとかシャコンヌと呼ぶようになった。」

 申し訳ない。私自身の専門は音楽学の中でも、どちらかといえば社会学や教科教育学寄りなもんで、こういう西洋音楽史はあまり得意ではないのです。

 きっとマラテスタ師匠はどこかのえらい人の家で「シャコンヌ」を聴いて、気に入っちゃったんでしょうね。それで自分の入場テーマにした。誰の書いたどの「シャコンヌ」かは謎です。だって当時の作曲屋といえば、次から次へと新曲を書いて、一回か二回演奏してそれでその曲はもう使わないという、いわゆる一つの書き飛ばしが基本でしたから。しかも作曲屋なんてものは無数にいました。いくらでもいた。現在まで名を残している奴なんてのは、氷山の一角にすぎません。だから、マラテスタ師匠が耳にしたのも、きっとそういう無名作曲屋の書き飛ばした無名の「シャコンヌ」だったことでしょう。

 さて。マラテスタ師匠の出囃子が特定できないのであれば、何か適当な「シャコンヌ」で雰囲気を出してみるしかありません。手っ取り早く手に入るのは、ヨハン・セバスティアン・バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」の中の「パルティータ第二番」の五曲目か、伝トマス・アントニオ・ヴィターリ(実は違う人が書いたらしい)の「シャコンヌ」でしょう。後者はバロック時代のバイオリン独奏曲集を買ったらかなりの確率で入っている超有名曲です。私がヴァイオリン出してきて弾いて差し上げても良いのですが、練習する時間が無いのでまたの機会といたしましょう。

 このどちらかのメロディをアタマに叩き込んだら、黒い帽子と黒いマントを被ってそれを口笛で吹いてみれば、気分はもうマラテスタ師匠ですね。間違いなく。「ティルリ、タタ~」という出だしから考えると伝ヴィターリ作の曲の方が近いかな。
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by waka_moana | 2006-07-09 00:13 | 文化