「カピタン・アラトリステ」シリーズと映画「アラトリステ」の背景知識と翻訳裏話


by KATO Kosei Ph.D
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地図までつけちゃうよ

手書きだけど。以下、解説。

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地点1 王宮前広場。
地点2 エンカルナシオン修道院周辺
地点3 サン・ヒネス教会周辺
地点4 サン・ミゲル通りあたり。右側にマヨール広場。
地点5 多分隊長の愛人の店があったあたり。
地点6 師匠と隊長が斬り合いをやったあたり。
地点7 プエルタ・デル・ソル
地点8 ラバピエス広場あたり。
地点9 アルケサルとアンヘリカの家あたり。実は王宮へ行くのにイニゴ君の前を通る必然性が全くないことがわかりますね(笑)

一時期ほどの治安の悪さは改善されたそうですが、油断して良い町ではないので気をつけて。
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by waka_moana | 2006-07-30 21:35 | QandA

知られざる読点の秘密

 これは私だけかもしらんのですが、最初に作る訳文、どうしても読点が多くなっちゃうんですよね。元の文章をじわじわと日本語に変換していく際に、意味のかたまりの切れ目のところでたいがい読点を打ってしまう。

 ところがあとでこの最初の訳文を読み直すと、どうしてもリズムが千切れて読みづらいんです。意味ではなくてリズムの問題が出る。だからたまに1ページくらい戻って、読点を整理する作業が必要になる。

 普通の翻訳出版だとゲラが出来た後に著者校正が2回あるのでその時にたいがい手直し出来るのですが、以下はヤバいんで口を濁しておきます。
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by waka_moana | 2006-07-29 09:52 | 翻訳作業
 昨夜、突如として『アラトリステ』のアマゾンの売り上げ順位が上昇し、23時ごろには4桁台に突入しました。そして日付が変わる頃には5桁台・・・・狙ってやってるんじゃないでしょうね?

 そんなわけで今日はマドリッド中心部に隊長の面影を求めて彷徨い歩くツアー案内。

 出発地点は王宮に定めましょう。まずは王宮。1巻の最後に隊長がオリバーレス伯爵と会話したのがここですね。主にブルボン王朝が集めたお宝類が展示されています。実はハプスブルグ朝時代の王宮は1734年に火災で焼失してしまってるんですが、ともかく現在の王宮も見応えある場所なのは事実。現在の王宮はイタリア人建築家の師弟によって設計されたものです。王宮は正面右手の出入り口から入るのですが、1巻で隊長が王宮に護送されて入ったのもこの辺りですね。

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(王宮正面。写真は故・清水理恵さんが撮影されたもの)

 王宮を出たらそのまま王宮の正面に回りましょう。1巻の最後でマラテスタ師匠がイニゴくんをナンパしていたのがここです。黒い服を着て口笛を吹くのを忘れないように。

 この広場の西側からは、マンサナレス川とその向こうのカサ・デ・カンポが見渡せます。2巻で***が*****にハメられるのがその辺り。

 続いて王宮向かって右の道路を北に歩きましょう。王宮を通り過ぎたあたりの右手にエンカルナシオン修道院があります。2巻ではこの周辺で隊長が大立ち回りを演じます。

 エンカルナシオン修道院の南の王立劇場からアレナル通りを東に向かいましょう。しばらく歩いて行くと、右手にサン・ヒネス教会があります。教会の中を拝観したら(脱帽と喜捨を忘れずに)、教会の周囲の小径を歩いてみましょう。2巻ではこの界隈が裏世界の情報交換所として登場します。*****の追っ手から逃れて地下に潜伏した隊長がここで*****と再会します。

 さて。サン・ヒネスの路地を堪能したら、路地の中途にある道を南に抜けましょう。マヨール通りを渡ってそこがかのマヨール広場。何度となく作中に登場する、マドリッド旧市街の中心です。広場の西側に広場と並行にあるのがサン・ミゲル通り。ここには隊長の戦友、隻腕のファン・ビクーニャが経営する地下賭博場がありました。これも登場するのは2巻ですが。
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 一度マヨール広場に戻って今度はマヨール広場の南西の角から東に少し行ったところにある通りを南下しましょう。ここがトレド通り。隊長の愛人、「レブリハのカリダ」姐さんが経営する居酒屋「トルコ軒」があります。関係無いですが大昔は日本の売春宿も「トルコ」と呼ばれていましたね。行ったこと無いけど。

 このトレド通りの一本裏に隊長の下宿があるはずなのですが、地図上では通りの名前を確認出来ませんね。現地で「アルカブス通り」を探してみるのも一興。「カヴァ・アルタ」通りならあるんですがね。

 マヨール広場にまたまた戻りましょう。2巻ではこの広場のどこかにある路地で隊長と師匠の対決があるのですが、これも正確な位置は不明。多分広場の東側、サラゴサ通り周辺にある路地だと思われます。サラゴサ通りを抜けるとサンタ・クルス広場。この広場の東南にあるサンタ・クルス教会は、師匠との対決を終えた隊長が傷の手当てをした場所です。

 よろしいですか? それではサンタ・クルス広場から適当に北東を目指しましょう。5分ほどでプエルタ・デル・ソルに到着します。スリが多いから気をつけて。この広場の南西の角、マヨール通りとコレージョ通りの間のどこかに、作中ではサン・フェリペ教会があることになっています。この教会前のテラスがマドリッド市民の情報交換の場になっているという設定です。今で言う「2ちゃんねる」みたいなもんでしょうか。

 それでは地下鉄に乗りましょう。ソルの駅から3号線で南に1駅。もちろん体力に自信があれば歩いても良いです。
 
 ラバピエス駅で降りましたらラバピエス広場の北東角の道を東へ。最初の角で左折。ここがプリマベラ通り。師匠が住んでおられた場末の通りとされています。2巻を読んでから行けば感慨もひとしおでしょう。

 それじゃまたラバピエス広場に戻りますよ。今度は広場の北西の角から軽く南西方向に伸びるソンブレレテ通りを行きましょう。3つめの交差点を右へ。エンバハドレス通りですね。右手に注意していてくださいよ。数えて6つめの通りがエンコミエンダ通りのはずです。エンコミエンダ通りとエンバハドレス通りの角に、アルケサル国王秘書官とアンヘリカが住んでいた館があったことになっています。ですからアンヘリカの馬車はエンバハドレス通りを北上してそのままトレド通りに入り、さらに北上してマヨール広場、マヨール通りと通過して王宮に行っていたんでしょうな。

 ちなみに今年の夏は特に暑いそうなんで、途中でオテルに戻って2時間ほど昼寝することを強くお薦めしておきます。

 それじゃ今夜もアマゾンをポチっと、よろしくお願いします。
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by waka_moana | 2006-07-28 08:56 | QandA
 さんざん引っ張ってくれた梅雨もようやく終わりが見えて来ました。いよいよ夏ですよ。夏と言えば。そう、夏休みですね。私にはそんなもんやって来ないのですが、世間は夏休みだ。

 さて、この夏はスペインで「カピタン・アラトリステ」の世界に触れてみたいという方もおられるのではないでしょうか。いや、言い方が違いますね。おられるようです。映画封切りに合わせて渡西。

 それにしても、スペインは広大です。いったい何を見れば良いのか? 迷いますよねえ? 大丈夫、まかせて下さい。以前私はスペイン仮想旅行CDロムを私家版で作ったこともあるくらいです。どこに何があるか、なんとなくは分かっております。

 それでは、「カピタン・アラトリステ」的スペイン旅行のツボを申し上げます。

「バルセロナには行かない。」

 な、なんだって~~~!? スペインと言えばバルセロナとアンダルシアでしょう。
 
 まあたしかにそうかもしれませんが、「カピタン・アラトリステ」に限って言えばそうではない。何となれば我らが隊長はあまりそちらの方で活動されないからであります。

 だいたいバルセロナなんて「カピタン・アラトリステ」の時代には歴史の波間に沈みかけていた町ですよ。というのは、バルセロナはその立地上、地中海方面の交易が活発になっている時に最大限の強みを発揮するんです。ですが「カピタン・アラトリステ」の時代といえばこれはもう新大陸交易の全盛期。アメリカからもたらされた貴金属類はグアダルキビル川を遡ってセビージャの地に陸揚げされておりました。一方、カタルーニャとアラゴンはハプスブルグ朝スペインの前期にはほとんど内戦まがいの政治対立を繰り広げておりまして、人口激減、商工業壊滅という体たらく。この時代に限って言えばカスティリア王国とアラゴン王国・カタルーニャ公国は、経済力や存在感で本州と四国くらい違った。ですから、ハプスブルグ朝スペインの戦費のほぼ全てはカスティリア王国が負担していました。

 気付いておられる方は少ないかもしれませんが、物語中でもアラゴンやカタルーニャなんか外国扱い、属領扱いですよみなさん。言葉だって違うしね。そう、我らがカピタンにとって祖国といえばカスティリア王国。同胞とはカスティリア王国人のこと。彼にとってアントウェルペン(アントワープ)とナポリとバルセロナは等しく「異国」だったはずです。

 ああびっくりした。・・・しましたね? よろしい。

 となると、隊長の気分を味わうにはどんな旅程がよろしいのか。よろしい、翻訳家が指南して差し上げましょう。いや指南じゃなくって翻訳家が指さすのは北なんだってば。とりあえず時間に無茶苦茶余裕がある人向けの旅程を組むので、ここから適宜不要と思われる部分を削除してください。

初日 バラハス空港(マドリ)着。タクシーかバスで市内へ。さっさと寝る。
二日目 王宮とその周辺散策(詳細は後日)
三日目 プラド美術館
四日目 ソフィア王妃芸術センターとティッセン・ボルミネッサ美術館
五日目 予備日
六日目 トレド*へ。パラドール泊。2巻で***がトレドに拉致られます。
七日目 トレドを散策した後、レンタカー(!)で国道N403を走り、サン・マルティン・デ・バルデイグレシアスへ。ここでワインを買って(1巻でケベードが飲んでいたのがここのワイン)からM501、M600と走ってエル・エスコリアル修道院*へ。
八日目 エル・エスコリアル修道院見学。「アラトリステ」の時代の王家はここが本拠地でした。
九日目 アヴィラ*で11世紀の巨大城壁を見てからN501でサラマンカへ。
十日目 サラマンカ*散策。
十一日目 サモラ、ベナベンテと走ってレオンへ。やって来ました隊長の故郷です。
十二日目 レオン散策
十三日目 ここからは二つのルートが考えられます。ここから巡礼路沿いに西へ向かってサンティアゴ・デ・コンポステラ*を目指すか、あるいは巡礼路を東に辿ってブルゴス*経由でバスクを目指すか。「カピタン・アラトリステ」を徹底的に追求するなら、ここは迷わず東です。というわけでこの日はブルゴス泊。
十四日目 ブルゴスから高速A1でヴィトリア。そこから北東にベルガラの町まで走って、そこから南に少し下ると、イニゴ君の故郷、オニャテの町です。オニャテ泊。
十五日目 オニャテ散策。
十六日目 ビルバオへ。話の種にグッゲンハイム美術館を見物。
十七日目 空路、マドリへ。そこで乗り換えて日本へ向かいましょう。
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by waka_moana | 2006-07-27 09:43 | QandA

2巻 delayed Aug/25 to Sep/22

 2巻の発売が9月22日に延期されたそうです。1巻の轍を踏まない為にO内が闘ったようですが、詳しい戦況は不明。
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by waka_moana | 2006-07-26 07:27 | ごあいさつ
 剣術、というところをもう少し紹介してみましょうか。

 おそらく初版をお買い上げいただいた心の広いみなさまの99%は「指輪物語」でアラトリステ隊長が演じたアラゴルン王のファンでいらしたことでしょう(何か違うな)。あの映画の最後の決戦のアラゴルン王の装備は、たしか半甲冑で馬に乗り、宝剣アンドゥリルを振り回しておられたような記憶があります。下半身に装甲があったかどうかは憶えていませんが、ヘルメット(顔も全て覆う兜のこと)を被っていないのでもしかしたら軽騎兵とよばれる簡略式の装備だったのかもしれません。最高指揮官がヘルメットも被らずに最前線に出るというのはかなりヤバいシチュエーションだと思いますが、やっぱ大将の顔が見えないと色々各方面ヤバいということで、演出上やむなしでしょうね。

 さて。あの映画のアンドゥリルを見る限り、サイズ的にも用法的にも14世紀ごろに全盛であった大型の両手剣のようです。ちょうど百年戦争の時代ですね(ついでに余計なことを書くと、アラゴルン王の半甲冑はどうも16世紀から17世紀くらいのデザインのような)。そのまんまトゥーハンド・ソードと呼ばれます。この時代の戦士は両手剣も片手剣も使ったのですが、馬上で振るうのは刀身を長めにした片手剣が中心だったようですね。アンドゥリルは馬上で片手で使うにはいささかでかすぎる気がしますけども、映画ではアラゴルン王はあれを馬上で使っているようです。まあ魔力を持った剣ということで、使い手の負担が小さいのでしょう。
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 ちなみにあのサイズのトゥーハンド・ソードを鋼で造ると2キロくらいになったようです。我らがアラトリステ隊長の愛剣は軽ければ700グラム、大型のレイピアで1300グラム前後。暴れん坊将軍が使っているような日本刀はもう少し重くて(両手剣ですから)1キロ弱から1500グラム弱というところです。

 さて剣術。トゥーハンド・ソードの場合は当たり前ですが両手で構えますから、レイピアでの剣術とはかなり違います。レイピアを使うアラトリステ隊長は「突き専門の片手剣」のメリットを最大限生かすべく、半身状態での刺突攻撃(現代のフェンシングの動きを想像してもらえばだいたい当たり)を多用し、足裁きは基本的にスリ足のナンバ歩き。つまり両足が交差する状態を作りません(映画の殺陣だとのしのし歩いているようにも見えますが・・・・)。

 一方、トゥーハンド・ソードを使う場合は重量を生かして叩き切る攻撃が基本になります。鍔に近い方の握り手を支点にして、打ち込みの瞬間に手前の握り手を引きつける。そうすると梃子の原理で破壊力が増す。これは日本刀でも同じですね。そして足裁きはレイピア使いとは違い、打ち込み時に片足を相手の方に踏み込みます。絵図を見ると、下から跳ね上げるような攻撃も行ったようです。そしてよほどの達人でないとやるなと教本に書かれていますが、体を一回転させての水平の打ち込みもやる人がいたらしく、6種類の型が説明されています。ブレイクダンスと同じでこの手の技は「ウィンドミル」と呼ばれます。

 さて、映画「アラトリステ」の殺陣ですが、クリップを見る限りではむしろブロードソードと呼ばれる両刃の片手剣の剣術に近いような印象を受けました。ブロードソードは十字軍の時代や百年戦争の時代に使われた剣ですが、歩兵が使う場合はトゥーハンド・ソードと同じく踏み込みを行う足裁きで、攻撃のほぼ全ては斬りつけるものでした。映画の殺陣はどうもブロードソードの剣術を基本にフェンシングをミックスしたようなもののようですね。なんでもアラゴルン王の殺陣師と同じ人が隊長の殺陣をつけたそうです。
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 ところで昨日から妖しげな剣の画像を色々拾ってきて貼り付けておりますけれども、こういった刀剣類、現在世界で最も大量に生産している街をご存じですか? 『アラトリステ』を読まれた方ならおわかりですよね。そう、トレド。日本刀生産量まで何故か世界一なのはご愛敬。
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by waka_moana | 2006-07-25 00:17 | QandA
 名も知らぬ遠き大陸より流れ寄るメイキングクリップ一つ。お姐さんがこれを割って見ると、中から出てきたのは、映画「アラトリステ」のチャンバラシーンの撮影風景でありました。しかし、こやつらは一体何をどう振り回しておるのか? お姐さんがたは早速翻訳家に圧力をかけました。

「なんなの、あれ?」

 というわけで、17世紀初め頃のスペインのゴロツキが振り回していた剣についてのお勉強も、何回かにわけてやってみたいと思います。

 とりあえず結論というか、一番大事なところからお話をしましょう。アラトリステやマラテスタ師匠が使っている剣は何というのか?

 あれは英語ではレイピアrapierと言います。スペイン語ではエストックestoque。イタリア語ではストリッシャ。フランス語ではラピエール。日本刀とは違って片手で使うのが基本(片手剣)で、刃は刀身の両側につけられています(両刃)。映画の中でヴィゴ・モーテンセンは相手を薙ぎ払ったりしてましたけど、基本的な戦法は突きです。レイピアを使う剣術を(大ざっぱに言えば)フェンシングと呼ぶ、と書けば、本来のレイピアの使い方が何となく想像出来ますでしょうか?

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 ただ、当時は競技スポーツとしてフェンシングをやっていたわけではなくて、殺すか殺されるかの鉄火場から生還するための道具(好んでそういう所に行きたがるケベードという登場人物もおりますが)でしたので、勝てば官軍。どんな使い方をしても、生き延びられればそれでよろしいわけですから、映画のモーテンセン氏のように斬りつける使い方もあったのかもしれません。

 さて。クリップの中でもう一つ注目していただきたいのは、奴らが基本的に二刀流だということです。左手にあるのはマン・ゴーシュと呼ばれる短剣です。我らがアラトリステはこれで相手にとどめを刺すのが得意だったようですが(クリップでも相手の腹をマン・ゴーシュで切り裂いていますね)、基本的には相手の剣を受け流す為のものです。この使い方が発展すると、刀身を三つ叉にして相手のレイピアをはっしと受け止められるようにしたマン・ゴーシュも現れてきます。

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 クリップの中でモーテンセン氏が使っているマン・ゴーシュはストレートな刀身のようでしたがね。

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 そういえばモーテンセン氏扮するアラトリステは何やらガレオンの船上でも豪快にレイピアをブン回しておられましたね。相手が使っていた剣は画質が悪いので確認出来ませんでしたが、ちなみにこの時代の水夫の剣はレイピアではありませんでした。「パイレーツ・オブ・カリビアン」で海賊たちが振り回しているあれ。突くのではなく本当にぶった切るのが主目的の小振りな片刃剣。あれをカットラスcutlassと言います。

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 何故、陸上と海上で剣の流行が違ったのか? これはレイピアという「突き専用剣」の成立と発達の経緯を考えてみればわかります。

 そもそもはヨーロッパの陸上剣術も、映画の中でモーテンセン氏がやっているように突きと斬りを組み合わせたものでした。ところが14世紀になってプレート・メール(ごっつい鎧)が発達すると、片手剣で斬りつけたくらいじゃあかすり傷も付けられないようになったのですね。そこで、装甲の隙間を突っついてやっつける用法に特化した片手剣(=レイピア)や短剣(=ダガー)を使うか、あるいは日本の野太刀のような特大の両手剣を用意して、相手を装甲ごと叩き割るようになります。後者はツバイヘンデル(ドイツ語)とかスパドーネ(イタリア語)とかフランベルジュ(フランス語)とか呼ばれるもので、大きなものでは長さ180センチ、重さ4キロ弱にもなったといいます。

 こういう重厚長大なチャンバラの時代は、しかし火器の発達によって終わりを迎えます。いくらごっついプレート・メールを着込んでいても、銃で撃ち抜かれればそれでお仕舞いになっちゃうんですねえ。それじゃあクソ重い鎧なんか着てられるかといって、兵隊さんたちは鎧を捨て、軍服で闘うようになります。となると、(滅多にないことでしたが)乱戦状態になればレイピアの出番もやってくるわけです。

 逆に船上での戦闘を考えてみましょうか。海に落ちたら即死確定だし、いたずらに積荷を増やすプレート・メールなんぞは、もとより実用的ではないですね。だから対プレート・メール戦闘を考慮する必要が無かった。また水兵は戦闘をしていないときは水夫なので、シュラウド(帆柱を横から支えているロープ。横静索)や縄梯子をスルスル上らなきゃ仕事にならんですし、帆船はやたらめったらロープを使う乗り物ですから、必要とあればこれをぶった切れるような手頃でコンパクトな刃物が必要だった。一方で水夫は操船の訓練が第一になるので、陸戦専門の歩兵のようにレイピアの使い方をじっくり学ぶ暇もなかった。だからとりあえず振り回して当たれば人斬りが出来るようなカットラスが好まれた、というわけです。

つづく
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by waka_moana | 2006-07-24 10:16 | QandA
 ツール・ド・フランス、最終ステージが始まりました。総合優勝争いは前代未聞の大どんでん返しの応酬でしたが、どうやらフロイド・ランディスで決まったようです。スペイン人選手は19ステージ発走までオスカル・ペレイロ・イ・シオが総合トップだったのですが(2位は同じくスペイン人選手のカルロス・サストレ)、スーパーサイヤ人化したランディスの爆走で陥落。

 我らがイニゴ・ランダルーチェ選手はトップから1時間48分遅れの51位で今日のスタートを迎えました。エウスカルテル・エウスカディ・チームでは2番目の成績。

 今日は殆ど凱旋走行みたいなものなので、本気の勝負は多分無しでしょうね。出来ればペレイロに掟破りのガチンコアタックを仕掛けて欲しいですけれども・・・・・。沿道の観客も応援というよりは「よくやった」という拍手に見えます。

 

 
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by waka_moana | 2006-07-23 21:18 | 文化

よきにはからえ

 ところで皆さん、「アラトリステ」の時代のスペインというのは、一体どんなパーツで出来ていたかご存じですか? スペイン王家たるハプルブルグ家がヨーロッパ各地に所領を持っていたことは何度も書きました。イベリア半島、イタリア半島南半、シチリア島、ブルゴーニュ地方、フランドル。さらに南アメリカ大陸の大半とかヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)。

 こういう雑多な領土をあまり深いことも考えずにひたすら集めていった結果、利益率が非常に悪いというか赤字垂れ流しの自転車操業をやっていたということも書きました。

 それでは、具体的にはどんな制度でこれらの土地を支配していたのか。

 例えば今、連邦という制度がありますね。アメリカ合衆国やドイツが代表的な連邦。かなり強い自治権を持つ州がいくつも集まって、共通の憲法と共通の最高裁判所をその上に乗っけて、通貨発行権や国防権、外交権などを持つ連邦政府が「そういう部分」の行政をやっている。

 しかし、当時のハプスブルグ王朝はそんな整備された組織ではありませんでした。なんといいましょうかね。同じ人が社長をやっている、しかし業務内容も違えば業務提携も資本関係も無い、つまり殆ど無関係の会社がいくつも存在している感じ。これを同君連合といいます。同じ人が王様なだけで、法体系も司法組織も通貨も言葉も違う。もちろん軍隊も別。それぞれが有機的に連携しての政策なんか殆ど何も無く、例えばカスティリア本国には都合が悪くても自分のとこに好都合なら、なんでもやっちゃう、みたいな話になります。場合によっては同じ業務でお互いのシェアを食い合っているポルトガルとカスティリア、みたいなアホなシチュエーションもあった。

 まあ、しょうがないといえばしょうがないですよ。また何かの拍子に王位が別の人に渡る可能性もいっぱいあるし、そうなったら本当に別の国ですからね。

 で、フェリペ4世陛下はこれについてどう思っていたのか。

 何も考えていませんでした。基本的にオリヴァーレス伯爵に丸投げ。本当です。彼が興味を持っていたのはオネーチャンとキリスト教と美術品の収集だけだったですから。その趣味に使うお金が途切れない限りはオリヴァーレス伯爵は何をしても(王様には)怒られなかった。

 これを「寵臣政治」と言います。言うんですが、訳文ではこの言葉は使いませんでした。原著ではそういう単語もちゃんと出てきているのですが、「寵臣政治」の概念はマイナーですし、敢えてそういう単語を使わなくても文脈で表現できますからね。というかこの単語、誰が考えたか知らないけど不細工な訳語だよね。字面見てもなんのことだかわからんもん。
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by waka_moana | 2006-07-21 17:04 | 王様たちのはなし

ピレネーを挟んで

 作者レベルテの旦那がデュマ大好きなことは、「カピタン・アラトリステ」シリーズの1巻で、『三銃士』の劇中の事件を史実としてイニゴに語らせていることからも明らかです。

 それじゃあ、「三銃士」と「カピタン・アラトリステ」、時代はどんな関係になっているかご存じですか?

 ちょっと確認してみましょう。まず、「三銃士」で若き日のダルタニャンがガスコーニュからパリに出てきて銃士隊に入ったのはいつ頃なのか?

 「三銃士」の前半のお話のあらすじはこうです。「ルイ13世の王妃アンヌはイングランドの大貴族バッキンガム公爵ジョルジュ・ド・ヴィリエと密かに恋仲であった。これを宰相リシュリュー枢機卿が知り、王妃の不倫を暴こうとするが、三銃士とダルタニャンの活躍でこの陰謀は阻まれる。」

 あー、「ジョルジュ・ド・ヴィリエ」というのは「ジョージ・ヴィリヤーズ」のフランス語読みです。なんかそんな感じの人、「アラトリステ」にも出てましたね。たしか作中で爵位が一つ上がって公爵になったような・・・。

 で、後半のあらすじはこう。「リシュリュー枢機卿のスパイだったミレディはラ・ロシェル攻防戦のさなか、イングランドに渡ってバッキンガム公爵暗殺に成功するが、フランスに戻ったところで三銃士とダルタニャンに捕らえられ、処刑される。」

 ということで「三銃士」の物語が展開していたのは1627年前後。バッキンガム公爵が死んだのは1628年ですから、若き日のダルタニャンの物語が終わったのは1628年で確定です。つまり「アラトリステ」1巻の4-5年後ですね。3巻でアラトリステとイニゴはフランドルの地に向かってブレダ攻城戦に参加していますが、これは1625年。ダルタニャンがまだガスコーニュで剣の練習に明け暮れていた頃です。

 ちなみに将来的にカピタンやイニゴくんと銃士隊の面々は絡むのか? 絡んでもおかしくはないですねえ。だって「アラトリステ」シリーズは「三銃士」シリーズへのオマージュであり、同じ作品世界を共有しているんですから。「三銃士」へのオマージュといえば、佐藤賢一さんの名作『二人のガスコン』が思い出されるのですが、レベルテの旦那にも是非、直接の絡みをお願いしたいとこです。

 なお、史実ではスペインとフランスは1635年から戦争状態に入り、1643年のロクロワの戦いでスペインがフランスに決定的な敗北を喫します。
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by waka_moana | 2006-07-18 18:11 | うらよみ