広河隆一は何故いままで悪事を隠し続けられたのか
2019年 02月 01日
広河隆一が実は女性の敵らしいという話は、昔からDAYS JAPAN周辺では周知の事実であったという話を、DAYS JAPANにボランティアで長年関わっていた女性ライターが書いたブログ。
人権とか正義とか平和といった概念と、今回明らかになった常軌を逸した性犯罪常習者の側面が彼とその組織の中でどう折り合っていたのか、どうにもイメージ出来なかったんですよ。
(ペーパーメディアの方の週刊文春に掲載された記事はウェブに出ていた情報よりも更に数段おぞましいらしいです。怖いんで読むのは止めておきます)
色々な関連記事を読んでみてなんとなく出来てきたイメージとしては
1)「DAYS JAPAN」誌や「チェルノブイリ子ども基金」の掲げる社会正義が明快であり、熱烈な支持者層を形成していた一方、言説のありようとしては決して主流派ではないため、広河隆一という偶像が破壊されることで、これらの社会正義が日本社会において退潮することを危惧し、誰もが見てみぬふりをしていた。
2) フォトジャーナリズムの世界で生計を立てる、立てたい人々にとっては広河隆一に逆らうことは仕事を失うリスクに直結する行為と思われたため、やはり見て見ぬふりをしていた。
3) 被害者となった女性たち自身もまた1) の思考を内面化し、自分に向けられた広河隆一の性犯罪があたかも犯罪ではないかのように振る舞ってしまった。
というような構造かと思いました。
では広河隆一にとって人権とか正義というのは一体何だったのか? 単に女性を食い物にするための道具だったのか? そこはよくわかりません。
何か教訓を引き出して終わりたいのですが、うーん、なんだろうなあ。
広河隆一と彼の会社が、カルト集団的な側面を持っていたということは言えると思うんです。何らかの大きな正義を掲げて、強力過ぎる権力を持った支配者が君臨している、社会からちょっと距離を置かれた集団。でしょ。
シンプルに、「そういう集団には近づかない」というのが、特に若い女性にはすぐにも実行出来る身の守り方ではないかと考えます。
写真家の横木安良夫によるkaoRi氏批判がこれまた熱い
2018年 04月 12日


荒木経惟に対する元モデルたちの告発についての評論家や編集者たちの言い訳が情けない
2018年 04月 11日

ならその「私写真」を売るなよ。
制作プロセスは「プライベートだからカネ払えない」で、成果物は商品として大々的にマスメディア通して売り捌くというのは二枚舌でしょ。アートとしてどうしても「私写真」を撮りたかったのなら、それ売る必要無いよね。もうインターネットある時代だったのから、インターネットにアップするだけで収益事業にしないやり方もあったし、その方がピュアだよね。筋が通るよね。
それにさ、荒木経惟が妻を撮ったケースと、プロモデルとして活動している人を撮ったケースを「私写真」でまとめるのは詭弁ですよ。貧乏サラリーマンが奥さんを撮影して私家版の写真集作るのと、評論家やマスメディアと結託して大金を稼ぐ大御所中の大御所がフリーランスのモデルを妻の代わりに撮ってカネ払わないのと、「私写真」で同一カテゴリに放り込むのはね。実際、荒木経惟は会社作ってその写真売ってビジネスやってるんだから。陽子さんなんかもしも荒木経惟が先に死んでたら遺産わんさか貰えた立場の人やんね。経済的にも法的にも運命共同体でしょ。モデルになる意味合い違うよね。
それに、共犯者とか言うならちゃんと利益山分けしろよ。相応の取り分を渡さないんなら、それは共犯者じゃなくて、搾取労働ですね。エシカルではないサプライチェーンで製造された工業製品と同じです。児童労働とか搾取工場とか人身売買によって作られた商品と同じもんですわ。私写真。

あるいは、わかってるけど知らないふりをする。
荒木経惟がひどい人かは全世界的な関心事ですよ。日本を代表する作家として大手オークションハウスでも売られているし、世界各地で回顧展も巡回した。ウィーン分離派美術館なんて凄いとこでね。
その荒木がビジネスマンとしてパートナーを搾取していたかどうかは、例えばユニクロやアップルやH&Mがサプライチェーンに児童労働・搾取労働を入れていないかどうかと同じくらい大事な話。
アーティストにもクズは多いのは事実かもしれない。でもアーティストだからクズでも許されるなんてことはありません。アーティストだろうが企業だろうが社会的影響力の大きな事業者は、その影響力のサイズに応じて社会的責任を問われ、クズならこいつらクズやんと言われなければならない。
でないと、世の中が進歩せんからね。

「私写真は終わらなければならない」とか「女たち、女たち、女たち」とか「射程」とかのポエム語でごまかしてんじゃねーよ。
自分が経営者だったとして、部下がモデルを不当に扱っていたのが発覚したらどうする?
自分が中間管理職だったとして、外注先がモデルを不当に扱っていたのが発覚したらどうする?
自分が外注業者だったとして、現モデルの権利が守られていない現場に居合わせたらどうする?
これはそういう話です。
良識ある市民として、あるいは企業の社会的責任として、速やかに然るべき対処をして会社と自分を守らなければいけない。それが当たり前ですよビジネスパーソンなら。そしてアートはビジネスなんだから。これはビジネスモデルとしてダメダメでした、もう終わらなければ、じゃなくて、そもそもビジネスとして論外でしたと言わないと。それを知ってて今まで黙ってたなら、黙ってた私もクズでした出直しますと素直に言わないと。
これは有名人バッシングとかじゃないんです。
親事業者が下請業者を不当に扱った案件。
あるいは技能実習生の労働搾取に類似の案件。
荒木経惟は有名人だからバッシングされているんじゃないですよ。有利な立場を利用して不当なビジネスをしてきたから非難されているんです。
それが許された時代だった?
んなわけ無いでしょ! やられた方は苦しんでいた。やった方を取り締まる仕組みが無かったからやり得だった。それだけです。
単純な思考実験してみましょうか。
A) 荒木経惟がモデルに性的虐待をせず、妥当な報酬を支払って作品制作をした。
B) 荒木経惟がモデルを性的に虐待し、妥当な報酬を支払わずに作品制作をした。
どっちが社会に「良さ」を生み出す行動ですか? その「良さ」の量は2018年と1998年で変わりますか?
1998年だろうが2018年だろうが、性的虐待も搾取も無い方が良い世の中でしょう。なら、そもそもダメ案件だったんです。だいたい1998年なんてフェミニズムやポストコロニアリズムが日本で普及し尽くしてそろそろ飽きられているような時代ですよ。その頃にはもう、親方それはもう止めた方がって周囲が止めなきゃいけなかったでしょ。
言い訳は止めましょう。
まともなビジネスパーソンなら契約書を作るのは当たり前。
年長者として荒木経惟からきちんとした契約書を提示するのが当たり前。
モデルを虐待しないのがプロとして当たり前。は? 虐待しないと撮れない表情がある? それを虐待せずに撮るのがプロでしょ。
ハードな撮影であればあるだけ、モデルの心身の健康と権利と安全に考えられる限りの配慮をし、十分なギャラを払うのが当たり前。
ビジネスパートナーが困っていたら誠実に耳を傾け、誠実に対応するのが当たり前。
当たり前のことをしてこなかっただけ。社会人失格はどっち? ねえ、どっち?
『ルート66をゆく:アメリカの「保守」を訪ねて』
2016年 07月 02日
何故か今だに色々な人に加藤先生と呼ばれるので、先生っぽいことを続けなければなりません。つらいなー(ここで地獄のミサワさんを思い出していただけると嬉しいです)
くだらない前置きは終わりにして、10年前、オバマさんがまだ上院議員として出てくるような本ですが、とても面白かった。
ドナルド・トランプみたいなのを支持しているのは多分こういう人たちなんだろうなと想像しながら読んだのですが、出てくる人がみんな真面目で良い人なのよ。わかりますかこれ。
メガチャーチに集まる市民、進化論を受け入れない先生。アフガン帰りの州兵はアフガン人をリスペクトしているし、ルート66文化を復興させて観光資源にしようと頑張っているのはアフリカ移民だったりポーランド移民だったり。
そして意外にもブッシュ大統領(息子の方)がこのエリアの保守派の市民に大変不人気だったという事実。
中西部の保守派市民は「小さい政府」「モンロー主義」「福音主義」の3点セットなので、イラク戦争をしたブッシュはダメなわけですね。メキシコからの不法移民の合法化プログラムをやったのもダメだと(だからブッシュはヒスパニック系には人気が高かった)。
そう考えた時、トランプの政策の多くがこのエリアの価値観にぴったりフィットしていることがわかります。若くて美人の妻を自慢するとこが中西部の家族主義とどうマッチするのかはよくわからないけど。
たしかに白人でヘテロセクシャルでキリスト教徒でという人でなければキツい土地柄だというのはあるでしょうが、そういう人たちが真面目に暮らすには良い土地なんでしょうね。
制度についてのリテラシーが無くても生きていることは出来るでしょうが
2016年 05月 31日
社会制度についてのリテラシーというものが概念化出来ないかと。
何の話かと申しますと、例えばネット上のニュースについて付けられる一般大衆のコメントなどを拝読したときに、それは法律上ありえないだろうとか、制度上そんなとこが管轄してる案件じゃないぞそれとか、手続きに食われる時間やマンパワーのこと何も考えとらんなこいつとか、そういうね。世の中の基本的な仕組みを全く理解していないような発想、発言がわんさかあるんです。
法律があって行政マンの裁量があって手続きがあって、会社があれば社内に色々な部署があり命令系統があって、ビジネス案件であれば発注者がいて契約書があって権利関係があって・・・・・そういうことって、わかってる人にはわかってますよね。
何か新しいビジネスを立ち上げるんだったら、どこのお役所が規制や指導を担当してるんだとか、法律はどうなってるとか、どんな会社との新規取引が発生するとか、社内での決済はどう取るとか、契約書はどんな内容にするとか考えないと何も進みませんからね。
ところが世の中にはいい年をして、そういうことを一切考えられないおじさんおばさんが(!!)物凄い数で存在している。
以前に地元の里山紛争で出てきたおじさんおばさんたちがそうだったのですが、あれは特殊かと思っていたらいや全然そんなこと無かった。それでも、そんな人でもちゃんと人生やれてるのは凄いなあと思うと同時に、もうちょっと皆さん制度リテラシーがあったら、もうちょっと世の中まともなんじゃないかなあとも考えました。
ドイツの遍歴職人とグローバル人材に違いはあるのか
2016年 05月 17日
藤田幸一郎「18世紀ドイツの職人遍歴」一橋論叢、1991
中世から近世にかけての(現在の)ドイツでは、職人が親方になる前の段階として、修行した工房のある都市を出て各地を遍歴しながら、行く先々の工房で仕事をするという制度がありました。1箇所での仕事の期間は数ヶ月から、長くても1年。そうやって各地を巡りながら、縁あって親方になれた都市に根を下ろす。
これは、必ずそうしなければいけないという制度です。
イタリアやフランスやイングランドなど周辺の国では、職人は見習い、職人、(株に空きがあってそれを買う資金もあれば)親方という順序で、同じ都市で階梯を上昇するのが普通だったのですが、何故かドイツにだけは遍歴が制度によって強制されていました。
その理由は色々あって一つには絞りきれませんが、この論文では、労働力のバッファー機能を指摘しています。
職人修業を終えた人材の一定割合が常に国内の諸都市を循環しているので、職人の余った都市から職人の足りない都市への労働力の移動がスムーズに実現します。また、常にある割合で求職中の人材が発生するので、失業率は上がり、求人倍率は下がることになります。
その失業中の遍歴職人は、各都市の同業者組合、例えば印刷職人なら印刷職人組合に仕事を紹介してもらうか、求人が無い場合は当座の旅費を支給されて、次の都市へと向かう。
最後まで親方になれずに高齢化し、もう仕事はせずに組合からもらう旅費で旅を続けながら、死に場所を探すという職人も多かったようです。
この制度では、故郷を出た段階で親兄弟とはもう二度と会えないのが前提。運の良い人だけが故郷で親方株を手に入れて、親兄弟と暮らせたと。
詩的ではありますが、なかなかにハードな生き方でもありますね。現代のグローバル人材はどうでしょうか。遍歴職人と大して変わらない気も・・・・
さて、そろそろ怠け者モードの日々が終わりそうです。脳を働き者モードに切り替えなくては(´;ω;`)
失敗から学び、次の世代に伝える。
2016年 05月 12日
4年次後期に指導してもらった英文精読とライティングが、いきなり役に立っていますと。あれが無かったらどうなっていたかと思うと恐ろしいと。
ちなみにこれは大学の先生としてではなく(だってもう契約終了してるからね)、大学の先輩としてのボランディア指導です。毎週、ビジネスパーソンならば読めて然るべき記事を課題として出して、その要約を英文で提出させる。その要約を私が添削する。課題の誤読は無いか、英文法に間違いは無いか。
課題として出したのはBBCやWP、NYT、アルジャジーラ、あとカンバセーションも多かったですね。ARTSYも出したことあったかな?
とにかく彼女はそれを、卒業式の週まで毎週続けたわけです。卒業旅行中も旅先から送ってきた。
最初は青息吐息でしたけど、最後の方はホント別人のように進歩してましたよ。TOEICで800台後半くらいは行けるんじゃないかな。
そして、既に実務でそのスキルが役立っていると。
私からは、お仕事として英語を読む際に気をつけるべきことを2点、アドバイスしました。
単純で見慣れた単語に思いもよらない意味があったりする場合、そこを見落とすとその後の文章全体を読み間違ったりするので、「ここ、読めたような気がするけど何か腑に落ちないなあ」と感じたら、手間を惜しまずに辞書を確認すると良い。
教訓1:見慣れた単語にも思いもよらない意味がある罠
次に、外国の制度や職位については、辞書だけで済ませるよりは、その制度、その職位の概要を把握した上で読む方が深く読めるので、百科事典などを活用すると良い。
教訓その2:制度や仕組みそのものの知識を踏まえて読む方が安心・安全
これ、つまりは先日こちらに書きました、Sergent Mayorでやらかした奴です。彼女には正直に、かつて自分がプロとして手がけた仕事でこういう失敗をやらかして、もう取り返しがつかないままだと教えました。
失敗は取り返しがつきませんが、しかし次世代にそれを伝えることで、次世代を育てることは出来る。これで上級曹長も救われるでしょうか。
サトクリフ『落日の剣』が以外な方向に面白いです。
2016年 05月 06日
舞台は5世紀のブリテン島南部。主人公アルトスは、一応はブリテン伯爵の爵位を持つケルト系の武将で、ローマ帝国軍が撤退していった後のブリタンニア属州(だったところ)を、サクソン人の侵入から防衛する為に東奔西走します。
いや、東奔西走どころか北へも南へも行きます。
その毎日が本当に大変そうなんですよ。
強力な重騎兵隊を組織するために、まずは南フランスの馬市まで行って種牡馬と繁殖牝馬を10頭ばかり買い付けてくるところから始まり、イギリス海峡を越えて馬たちを輸送するために既存の帆船の改造も手配すれば、そもそも馬の買い付けの資金調達もやります。
それが終われば既存の馬格の小さな馬で「負けない戦い」で凌ぎつつ、牧場で何年もかけて増やした馬格の良い馬を調教させ、悪い血統の馬は売って血統改良もして重騎兵のための馬を準備する。
軍団の中核となる騎士だけでなく、補助的兵科である弓兵や歩兵、医療スタッフのリクルートもする。
更には各地の領主との折衝、修道院や教会との調整、兵士の訓練と装備品の確保、手入れ。鎖帷子でさえ騎士団の人数分揃わないので、サクソン人の偉い人をなるべく打ちとって分捕るしかない世界。
いざ出陣となれば、何日間もかけて準備を整えますし、行軍したらしたで道に迷いかけたり泥濘に兵馬が足を取られて遅々として進まなかったり、補給物資を運ぶロバが崖から落ちたり・・・・。
駐屯地ではまたまた地元の世話人と交渉して食料や衣料品の入手と補充兵のリクルートに忙殺。これは何というか、巨大メーカーの不振事業部が新興勢力に押しまくられる中、なんとかして会社を生き延びさせようともがく、メチャメチャ有能だけどババ札引かされた子会社の社長・・・・。しかも連結子会社じゃなくなっちゃったよみたいなみたいな。
アラトリステの3巻に出てくるスピノラ将軍みたいだ。
実際のアーサー王ってこんな人生だったんだろうなあ。
それで姉には裏切られ、妻や腹心の部下は不倫?
なんちゅう人生だ。
こういうの読んじゃうと、あまたあるラノベファンタジー戦記は物足りなくなっちゃうなあ。
なお、史実ではローマが撤退した後のブリタンニア属州はあっという間にケルト系とサクソン系の小邦が乱立する巷となり、この状態が924年のアゼルスタン王によるイングランド統一まで500年間も続いたのでした。なんだかんだで統一国家って大事だよ。
ウィキペディアの項目「アラトリステ(映画)」ノートが凄いことになっていました
2016年 04月 26日
DVD版字幕については以前から、元アニメ脚本家の杉原めぐみ氏が独自の主張を展開しておられまして、またあの人ですかと聞きましたら、名前は男性名でSで始まる名字が書かれていたり、匿名だったり、とのこと。
最近、與那嶺恵理の案件が終わって(UCIプロツアーと全日本頑張れよ!)カタリストの案件メインとなり、少し手空きになったこともあり、色々と調べてみたら、ウィキペディアのノートページが凄いことになっていました。ここが主戦場らしいのですが、他にもコメント依頼だの削除依頼だの戦線が拡大しており、面倒くさいから途中で見るの止めました。
論点も最初は杉原理論をウィキペディアに載せるかどうかだったのが、今や加藤の名前を載せるかどうかとか(載せなくて良いですそんなもん)、お前は何で俺をブロックするんだとか、もう記事ごと削除で良いんじゃないのかとか、とにかく加藤は死ねとか・・・斜め読みだから全部は拾えてないかもしれん。
とにかく熱い。素晴らしい。IPで書き込んでる人が沢山いて難しいですが、多分、このバトルをきっかけとしてアラトリステという作品を知った人も何人かはおられるんじゃないかと思える熱量です。ありがとうございます。
あの作品、映像の美しさと最後のテルシオ戦闘には根強いファンがいらっしゃいまして、「マスケティアーズ」で16-17世紀の西ヨーロッパのストリートファイトの二段展開(先込めピストルを持てるだけ持って突入して近距離の銃撃戦から、レイピアとマンゴーシュでの斬り合いに移行)の味をしめられた方には是非、ご覧になっていただきたいと思うわけですが、そういう意味でも何であれウェブ上で議論があるというのはSEOになりますからね。
いや、別にDVDがどれだけ売れようが私にはお金は入りませんが(監修料は定額でいただいておりますので)、どうせなら色々な人に見て欲しいじゃないですか。
ですから、議論大いに結構。独自の解釈もどんどん公開して欲しいです。もっとぶっ飛んだ解釈も期待したいな。
あとですね、DVDの字幕の著作権(著作者人格権に含まれる著作物の同一性保持権)をお持ちなのは翻訳者の佐藤さんなので、字幕を変える権利は私には無いですよ。そこだけ念のため注意喚起しておきます。
では、引き続きよろしくお願い致します。
隊長の故郷
2010年 11月 01日